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[コメント] シークレット・ウインドウ(2004/米)

明るい窓と暗い窓。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







シークレット・ウィンドウは、胸中の深層心理、すなわち「心の窓」のことなんだと思う。 モートにとってシューターはその深層心理が生み出した一つの人格に過ぎない。 モートが部屋の鍵を閉め、ボディガードを雇いシューターを警戒すればするほど、心の窓の鍵はこじ開けられ、シューターの意識となって部屋の片隅の(嘗ては物陰に隠されていた)「明るい窓」の向こう側に飛び出していく・・・。2つの窓は意識の中でつながっていた。 ソファーから転げ落ちた先の奈落の底や、他殺体を目にしての深い眠りは、モートの深層心理の深さを象徴しているのであろう。

放火や殺人がシューターの人格によることはほぼ疑い無いようであるが、ハウスキーパーの棄てられた原稿に対する反応や、郵便局局員(女性)の異なる2つのシーン(郵便局と売店のレジ)での全く別の反応(好意と恐怖)からすると、彼にはモートとシューター以外に、もう一つの意図的に描かれない人格があったように思える。 

すなわち、彼(モートとシューター)にとって都合の悪い諸々の事実、彼がモートのままシューターの名でタイピングした(それをハウスキーパーは見ていた)であろう事実、モートとして妻を愛する最中にあって、妻以外の女性(郵便局の女性)と親しくしていたであろう事実、シューターとして妻殺害後、彼女(郵便局の女性)に対し一転して凶暴に接したであろう事実、などはまるで記憶していないように、これらの行為は、モートの妻への求愛や、シューターの殺人や放火とは異なる次元、記憶にすら残らない深層心理のみに介在する意識から生まれてきたように思われる。

もしかしたら、それはモートとシュータの人格が入り混じった「シューターに操られるモートの人格」、或いは「シューターを操るモートの人格」と言えるかもしれない。 はたまた全く別の人格かもしれない。 何れにせよ、それが彼の全人格のなかで最も中枢をなす「何か」であることには違いないだろう。

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雑感として、

本作を解釈するに当たっての大きな一つのヒントは、モートが車中で自分の作品を雑誌から切り取ったことを覚えていない(映画としても描写していない)ところではないでしょうか? つまり解釈の上で重要な事実は、モートも覚えていないし、シューターも絡んでいない。従って、鑑賞者にも直接的に描写しない。 このように意図的に描かない部分に意味を持たしているような気がする。

こういうタイプの映画を自分の好きなように色々解釈するのが好きな私ですが、作品のなかで全く描かれない上述した部分が、実は一番のテーマ(全ての感情や行為は深層心理よりもたらされる)だったりするわけで(多分)、ただそう断言するには材料不足で、鑑賞後すっきりしないものを感じたのも事実。 せめて、モートの過去を知る上で、彼が妻と別居するに至った経緯をもう少し描いてほしかった。

(評価:★3)

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