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[コメント] スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け(2019/米)

スター・ウォーズは3度死ぬ
Orpheus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







(本レビューはEP1〜EP9について触れています。シリーズ未見の方はご注意ください)

スター・ウォーズは3度死んだ、と思っている。

「ルーカスが続編を作るらしい。嫌な予感がするぜ(I have a bad feeling about this)」

まず、プリクエル(EP1〜EP3)で旧三部作(EP4〜6)がジョージ・ルーカス自身によって殺されたに等しいことは、EP3の拙レビュー(http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=2055&mid=16163)を参照いただきたい。VFXの進化に執心だったルーカスが『スター・ウォーズ』を冠する素材として正面から描くべきだったクローン大戦そのものを実写映画本編で描かず、ルークとレイアの父母の若き日の痛々しいロマンスと薄っぺらい帝国軍の誕生秘話に尺を費やした結果、旧三部作のファンからは「スター・ウォーズが冒険活劇じゃなくなって息苦しくなった。俺の知っているベイダー卿があんなイケメンだった筈はないし、CGのヨーダも生気がなくて気持ち悪い」と叩かれ、プリクエルのファンからは「旧三部作は模型やマペットで古臭い。わがままでブサイクな姫が嫌い」と否定され、両者のあいだにはジェダイとシスに分かれて戦っているかのような深い溝が生まれたのだった。

「ディズニーが続編を作るらしい。とても嫌な予感がするぜ(I have a very bad feeling about this)」

次にスター・ウォーズが死んだのは、ルーカスフィルムを買い取ったディズニーがシークエル(EP7〜9)を制作するにあたって、スカイウォーカー家の話を続けることに決めた時だ。却下されたルーカス案では、フォースのミディ=クロリアンに関する全く別のアイディアが提示されていたが、ディズニーは旧シリーズのファンを喜ばせる方向へと舵を切る。『スター・トレック』のリブートに成功したJ.J.エイブラムスを監督に起用し、かつ旧三部作の主人公たちを再登場させることにしたのだ。結果として作られたEP7は既視感たっぷりの映像(帝国軍⇒ファースト・オーダー、デス・スター⇒スターキラーの攻撃を受ける寸前のレジスタンス、ミレニアム・ファルコンの逃亡劇、XウィングとTIEファイターの空中戦、R2-D2⇒BB-8、モス・アイズリーのカンティーナ⇒マズカナタの酒場など)のオンパレードとなり、ジェームス・キャメロンにも「今までに見たもの、今までに見たキャラクターで(映画を創造するコストを)節約していた」「(EP7で)新しいキャラクターたちはほとんど前進していない」とコメントされる始末だった。とはいえ、一本の映画のなかで旧三部作の三人組(およびチューバッカ、C-3PO、R2-D2)の見せ場を作ろうとすれば、シークエルの新しいキャラクター造形を掘り下げる時間的余裕は当然なくなるため、EP7でハン・ソロとカイロ・レンを、EP8でルークとレイのシーンを分けて描くことになった(同様に、EP9でレイアとカイロ・レンのシーンも準備されていたが、キャリー・フィッシャーの急逝により脚本は書き直された ※注1)。シークエルにおけるディズニーの最大の判断ミスは、旧シリーズのファンを喜ばせようというシーンありきで制作したことで、新三人組のレイ、フィン、ポーや敵側のカイロ・レンやスノークたちの描写は常に説明不足のまま、レジスタンスや第三勢力の描写もおざなりになってしまった。さらにEP8の監督・脚本にライアン・ジョンソンを起用したことで、サーガは大きな混乱に陥る。本来、EP8で描かなければいけなかった「ルークとレイのすれ違い」や「カイロ・レンとレイのフォースの共鳴(フォースの一対)」の背景説明が割愛され、レイの出自は霧の中のまま、カイロ・レンの意図も見えないままにレイに手が差し伸べられ、謎のスノークはあっさり殺害、フィンとローズのカント・バイト珍道中に尺が割かれた(注2)。スター・ウォーズを血筋の物語から解放しようという新機軸を打ち出したライアン・ジョンソンの試みは批評家受けこそ良かったものの、ディズニーの当初の狙いと真逆となったEP8の展開は、一連のサーガのなかに異物が混入されたようなもので、旧シリーズのファンから猛反発を受けただけでなく、演じた本人(マーク・ハミル)からも「ジェダイは諦めない。ジェダイが終わりを迎える時が来たという台詞を言うなんて、僕のルーク・スカイウォーカーじゃない」という不満の声が出たのだった(注3)。

「皇帝は死んでなかったらしい。アナキンとルークがフォースのバランスをもらたしたはずなのに。ものすごく嫌な予感がするぜ(I have a really bad feeling about this)」

そしてEP9で、スター・ウォーズは3度目の死を迎えることになる。前作でスノークを倒してしまったために、旧三部作で倒した皇帝パルパティーンを復活させることになった(死を欺いていたパルパティーンがスノークを操っていたというアイディア自体は選択肢の一つとして元々あったらしいが、EP8でライアン・ジョンソンがスノークと皇帝の関係を全く描かなかったため、EP9単独でそうした説明のほかファイナル・オーダーやシスの大艦隊についてすべて説明する必要があった)ほか、ファンから不評を受けたルーク・スカイウォーカーのキャラクター造形を改めるなど、EP8で迷走したシークエルの軌道修正に追われることになった。そして、肥大化したスター・ウォーズ・ユニバースの柱である映画シリーズの結末をどう締めくくるかが一番の課題であったはずだが、ここでJ.J.エイブラムスと共同脚本執筆者のクリス・テリオは致命的な判断ミスをしてしまったように思う。最後のシーン、シリーズの故郷ともいうべきタトゥーイン(アナキンにもルークにもレイアにも、この惑星にあまり良い思い出はないのだが…)にレイが行き、ルークとレイアのライトセイバーを砂漠に埋める行為は「スカイウォーカー家の物語を終わらせる」象徴的なシーンとなるはずだったが、名前を聞かれたレイはなんとスカイウォーカー姓を継承してしまうのだ。ここでレイが取り出した自作のライトセイバーの色が黄色だったことに注目したい。ライトセイバーの原料となるカイバー・クリスタルは本来透明で、所有者のフォースの性質や修行によって色が変わるという設定がある。これがシス(赤)とジェダイマスター(緑)の色が混ざって黄色のライトセイバーになったと解釈するならば、レイはフォースの世界に「真のバランスをもたらした者」であったことになり、40年以上に渡った本シリーズを畳むにふさわしい形となったのだが、困ったことに本作では最後にレイがスカイウォーカー姓を名乗ることでジェダイサイドとして生きることを宣言してしまった。そうなると、レイの黄色のライトセイバーは「真のバランス」の象徴ではなく、「ジェダイテンプルを護る者は黄色いライトセイバーを持つ」という過去作品群からの引用がなされたことになる。つまりJ.J.は「パルパティーンが倒され、スカイウォーカーの名を継ぐジェダイの新しい守護者が誕生した」(それゆえに副題はThe Rise of Skywalkerとなっている)という、スカイウォーカー家の小さな物語にサーガを着地させてしまったのだ。「フォースは特別な血筋の人間だけが持つものではない」というちゃぶ台返しを行ってファンから罵倒されたEP8の流れはなかったことにされ、「やっぱり血筋だよね」と軌道修正を図ったものの、カイロ・レンとレイの関係性を掘り下げずに突き進んできたことが祟って、最後になってシス・ウェイファインダーだの惑星エクセゴルだの持ち出されても辻褄合せに終始している印象を与えるばかりで、チューバッカがEP4のレイアのメダルを形見として受け取るシーンぐらいしかEP9は見るべきところのない作品になってしまった。ルーカスが手掛けたプリクエルもひどかったが、ディズニーが旧三部作のオールドファンへ色目を使いすぎて内容の薄くなったシークエルは、ジョンソンの暴走とJ.J.の着地ミスによって殘念な結末を迎えてしまったのだ(注4)。せめて、最後のシーンで「君の名は」と聞かれたレイが「私の名はレイ・パルパティーン。シスの末裔にして、ジェダイ・マスター。揺らぐフォースにバランスをもたらす選ばれし者なり」とでも答えていたら、善悪の彼岸に立つ者として、まったく違った印象を観客に与えたと思う(注5)。

こうして、私のなかでスター・ウォーズは3度死んだのだった。

それでも、やはり最後はこう締めくくりたい。

May the Force be with Us!

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注1:キャリー・フィッシャー急逝のため、EP9ではカイロ・レンとレイアの対話シーンがハン・ソロに変更された。ジェダイならば修行により霊体となって生者と対話することもできるが、ソロがカイロ・レンと語るシーンはさすがに無理があるので、このシーンは「贖罪を願ったカイロ・レンが望んだビジョン」ということになるだろう。もっとも、パルパティーンが冒頭でカイロ・レンに見せたであろうダークサイドのパワーを受けて、死者と語る術をカイロ・レンが体得していたのかもしれないが、映画本編にその説明はなかった。他にも惑星エクセゴルのシーンで数体のスノークのクローンと思しき映像だけが出てくるなど、EP9は根本的に説明不足のまま話が進んでいく。なお、EP9では他にも惑星ムスタファーの無双シーンで、カイロ・レンが祖父アナキン・スカイウォーカーの声を聞く(光の誘惑)シーンも撮影されていたがカットされた。

注2:いわゆるEP8の「ローズ問題」は、シークエルを構築する上で明らかな構成ミスだったと思う。上述のように、シークエルでは旧三部作の三人組と新しい三人組の両方を描くことになっために常に尺が足りず、サブ・キャラクターのローズに時間を割く余裕はなかったはずだが、撮影されていたルークとレイのやりとりを削ってまでして追加された。ローズの容姿がどうとか、ディズニーの意向でアジア人枠を設けた等々は正直どうでもいいことで、映画本編で描くべき主人公たちのドラマが薄くなったことが一番の失敗だった(これが長尺のTVシリーズだったら、ローズのようなサブ・キャラクターに光を当てて展開を作るのは正解なのだが)。そのしわ寄せもあり、終始説明に追われたEP9では当然ローズの出番はなくなったので、EP8がいかに異質な作品であったかがこうした点でも際立つことになった。

注3:これまでのスター・ウォーズは、ルーカスの設定の甘さを熱心なファンたちが好意的に補完することで人気が維持されてきた面もあるが、今回のシークエルは整合性が破綻して補完すらおぼつかない。もともとフォースには「物質の操作/精神の操作/フォースの検知/霊体として死後も魂は生き続ける」という力があるとされてきたが、EP8では「空間を超えた物理的転送・テレパシー」までできるようになってしまった(レイとカイロ・レンは「フォースの一対」のため彼らだけできたという設定だとしても、最後のルークの戦いやハン・ソロのダイスの扱いについては説明がつかない。そもそもこんなことが出来てしまうのならば、ライトセイバーなどなくても宇宙の彼方にいる相手の心臓を握り潰せば倒せてしまう)。また、EP9では『インディー・ジョーンズ』のような宝探しのストーリーが用意されたが、デス・スターの残骸と惑星ムスタファにウェイファインダーが隠されていたり、それを辿る短剣が用意されていた必然性が全くないためこじつけにしか見えない。さらに未知の領域に旧帝国軍時代よりも大規模なスターデストロイヤーの大艦隊が長らく隠されていたことをもさることながら、レイのXウイングがアウターリムの「電磁波の嵐」の中をかいくぐっていった危険なルートを遠く離れたレジスタンスが簡単に追尾できていたり、息を潜めて隠れていたレジスタンスの残党(しかも民間の船だという)が皇帝が生きていたと聞かされてそんな危険な領域へ駆けつけるはずはないだろう。馬(のようなもの)がファイナル・オーダーの旗艦の甲板を普通に走っている映像を見て、なぜ誰も違和感を覚えなかったのか…など、問題点を考え始めるとキリがない。(粗はあるが)ルーカスなりに考え抜いて作った旧シリーズの世界は、こうしてファンムービーのようなシークエルで内部から崩壊してしまったのだ。

注4:EP9については、ディズニーの口出しが作品をさらに支離滅裂なものにしてしまった。ダークサイド(ディズニー)の意向で、本作でJ.J.がやりたかったことは以下のように大きく改変されてしまったという。

・銀河皇帝(シーヴ・パルパティーン/ダース・シディアス)との対決時、レイの周りにルーク、オビ=ワン、ヨーダ、メイス・ウィンドゥら先代ジェダイの霊体が現れてレイを護るプランもあったが、上映時間短縮のためジェダイの声だけとなった ⇒最終決戦なのに、声だけじゃテンションがあがらない…よね?

・フォース・センシティブであるフィンがフォースを使うシーンがカットされた ⇒それにより、フィンがレイにそのことを打ち明けようとしていた箇所が曖昧になった(フィンの隠し事にポーが嫉妬していたのは、「ポーは両刀遣い」という設定があるため)。なお、EP7でもマズ・カナタがフォースを使う場面もあったが同様にカットされてしまい、マズ・カナタがルークのライトセイバーを保管していた経緯や、EP9でレイアが息子のために命を注ぐ際にそれをマズ・カナタが解説しているシーンなどで唐突感が出てしまった

・カイロ・レンとレイの過去が分かる対話シーンを根こそぎ削って(ディズニープリンセス映画のような)キスシーンが追加された⇒「ふたりがフォースの一対である」という設定を説明したシーンがないために、唐突で意味不明なシーンになった。まだキスで生き返らなかっただけでもマシではあるが…。J.J.もこのシーンについては「レイとカイロ・レンの関係はロマンチックなものではなく、どちらかというと兄妹みたいなもの。だから、(あのキスは)セクシャルなものでも、ロマンチックなものでもない」とコメントしている

注5:シークエルはEP8で変化を起こそうとしたが、多数のスター・ウォーズ・ファンはグレーに染まった現実世界を反映したようなジョンソンの作風や急激な変化は望まなかった。光は光、闇は闇。白黒はっきりした世界を好むファンが多かったようだ(もちろん、旧三部作の主人公だったルークの描き方を誤ったとか、サブキャラクターの描写に注力しすぎた結果メインストーリーが薄くなったことが、EP8のそもそもの問題点としてある)。時代が変わっても観客が娯楽作品に望む要素はそうは変わらない。ルーカスは後年にこう明かしている。「言いたくなかったが、実はスター・ウォーズは(善悪が分かりやすいように)12歳向けに作ったんだよ」。ベトナム戦争の厭戦気分を反映した自暴自棄なアメリカン・ニューシネマに飽きていたアメリカの観客が砂糖に群がるアリのごとくEP4に飛びついたのは、これが単純明快な冒険活劇だったからだ。EP6でパルパティーンを倒したこと(ダークサイドのダース・ベイダーは息子のおかげで消えかけていた善の心を取り戻して皇帝を倒し、アナキン・スカイウォーカーへと戻る。このことをもってフォースはバランスを取り戻したはずだったが、冷静になって考えるとジェダイの勝利によりフォースのバランスがダークサイドからライトサイドに再び傾いたという見方もできる)をEP9で反復しようとしたJ.J.の選択(レイがスカイウォーカーと名乗ることでライトサイドの勝利を描くこと)は、もちろん何十年経った今でも「善が悪を倒す」結末を望むファンが圧倒的であることを意識してのことだろう。しかし、これではレイがパルパティーンの末裔という自らの出自・過去を消し去って、悪を倒しただけの話になってしまい、旧シリーズからサーガは全く成長しなかったことになる。EP9で善も悪も引き受けて生きるという他の選択はなかったのか? スター・ウォーズという神話に終わりがあるとすれば、それはフォースに真のバランスがもたらされる日が来たときではないだろうか?

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追記: EP1〜EP6を振り返ってみて、ルーカスのドロイドやデス・スター、Xウィングといったメカニカルなデザインのセンスもさることながら、クリーチャーの創造にとりわけ優れてた才を持っていたことにあらためて気づかされた。旧三部作のジャバに、プリクエルのワトーやセブルバの憎たらしいことといったらない。ヨーダだってEP5で初登場した時の印象は胡散臭いクリーチャーで、そのフォースの強さを見せられるまではルークが半信半疑だったのはもっともなことだ。ジャー・ジャー・ビンクス? ああ、そんな黒歴史もあったな…

さらにEP7〜9を振り返ってみて、どうでもいいところで一貫している描写があったことに気がつく。そう、シークエルはカイロ・レンとレイの「綱引き三部作」でもあったのだ(レイの2勝1分け)。とはいえ、輸送船をひっぱり合うのはさすがにフォースの無駄遣い…いや、フォースのインフレすぎやしませんか。EP6のあとにルークから修行を受けたレイアだって、読んでいる本のページをめくったり、冷蔵庫からまな板の上へ食材を運んでくる時ぐらいしかフォースを使ってなかったと思うんだ

総括:シークエルで一番素晴らしかったのは、伝説を継承しようとEP7を作っていた過程(https://www.youtube.com/watch?v=mCsfFnNKDko)にあったのかもしれない。この時点のマーク・ハミルはその後のEP8の展開をまだ知らずに「昔のスター・ウォーズが帰ってきた」と嬉しそうに語っていたのだが…。それにしても、番外編の『ローグ・ワン』やディズニーデラックスで始まったTVシリーズ(マンダロリアン)の方が本編より面白いって、シークエルの企画はもっと時間をかけて話を練るべきだったね

おまけ1:エクセゴルの登場で、スター・ウォーズの銀河ってどうなっているんだ?という人向けの星図 https://vignette.wikia.nocookie.net/starwars/images/6/66/The_Galaxy_-_TROS_Visual_Dictionary.png/revision/latest?cb=20200102070639

おまけ2:レイとカイロ・レンが「フォースの一対」という設定は、EP8の制作中に「奇妙なつながり」(strange connection)と呼ばれていたようだ https://www.gizmodo.jp/2017/02/a-curious-addition-to-rey-and-kylo-rens-official-bios.html

おまけ3:ILMによるVFXシーン解説 https://youtu.be/Z9d1bkRC0Hs

(評価:★1)

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