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[コメント] かもめ食堂(2005/日)

かもめ食堂で喰うおにぎり
ebi

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







印象に残っているセリフがある。

もたいまさこ演じるマサコが「やりたい事をやってていいわね」と小林聡美演じるサチエに言う。それに対してサチエがサラリ答える、このセリフ。

「やりたくない事をやらないだけです」

謙遜といえば謙遜だが「やりたい事をやってていいわね」という言葉の対比も手伝って、なんだか心にひっかかった。観賞後、よくよく考えてみると、確かにそういう事かもしれないなと、しみじみ思った。

勘違いしてほしくないのは、ここで言う“やりたくない事”は、「やりたい事をやる為には、やりたくない事もやらなきゃいかん」という常套句に含まれる“やりたくない事”とは違うという事。例えば、努力とか労苦とか、我慢とか辛抱とか、それらは、むしろやらなくてはならない事である。

ちょっと横道にそれるが、やらなくてはならない事というのは書いて字のごとく否応なく「やる事」であり、やりたい・やりたくないなんて事は関係ない。やらなくてはならない事はやらなくてはならないのだ。(ちなみにマサコは両親の介護で半生を過ごしたという設定)

今回言う“やりたくない事”とは、主義・良識・信条・道徳に基づく自分なりの約束・心得に反する事という意味だ。とりもなおさず、行動がその人間性を決定するのなら“なりたくない自分になってしまうような行動はしない”と言い換えてもいい。もっと端的に言うなら“わりぃこたぁしねぇ、うまいはなしにゃのらねぇ”って事だ。

例えば、自分さえ儲かればいい・合法なら何やってもいい・ラクして金儲けしたい・金儲けのためには情は必要ない、こーんな拝金主義的考え。もし「金儲け」というものが自分の手の届くところにぶらさがってたとしても、これらの事をせねば得られぬのなら僕は手を出さない。そういう事をやっちゃう自分になりたくない、だからやらない、やりたくない――と、まぁこういう事だ。

注意すべきは、例えやりたくなくても手を出そうと思えば出せてしまう事。そういうものは得てして言葉巧みに近づき、即物的なウマミをギトギトと押し付けてくるものだ。一度やってしまえば、あとはズルズル。自分が自分である証明とも言える主義・良識・信条・道徳をすり減らし、やがて見失ってしまう。だからこそ「やりたくない事はやらない」という覚悟が必要なのだ。

別に金儲けそのものが悪いと言っているわけではない。僕だって生業として金儲けは“やらなくてはならない事”として、当然する。だが拝金主義的な考えには共感できない。だから引き合いに出したというだけだ。あえてこの引き合いにのっとって言うのなら、最近、よく耳にする勝ち組・負け組という言葉、一般的には勝ち組=金持ち(例え拝金主義的に成し得たとしても)といった印象だが、僕はホントウの勝ち組とは、やりたくない事をやらず、やりたい事をやってる人の事を言うのではないかと思う。

かつて旅先で出会った老人を思い出す。80を越えるじいちゃんが早朝から畑に出てせっせとクワを振っていた。「贅沢なんてせんでええんよ。毎日のメシに困らなきゃそんでええんよ。平和で、健康で、こうして毎日、好きな畑仕事ができる。おら、そんでええんよ。そんでええからなんも悪い事せんでええんよ。ありがたい事だよ。幸せだよ」じーちゃんはそんだけ言うと泥と汗のにじんだ顔でニカッと笑い、グビッとうまそうに水を飲んだ。そんでええんだなと、改めて思った。

蛇足 この映画、4回見た。あと1回見る予定。1回目はスクリーンの中でうまそうにおにぎりをほうばる登場人物達を指をくわえて見ていた。もちろんヨダレもたれていた。 そこで2回目は、おにぎり持参で劇場へ行った。もちろん、ウメ・シャケ・オカカの3つである。スクリーン越しではあるが、かもめ食堂で喰うおにぎりは格別だった。しかし、さすがにおにぎり3つは食い過ぎ、まんぷくで動けなくなってしまった。そんな反省をふまえ 3回目、4回目はやめた。3つ持っていくのは。 5回目はオカカだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)shu-z pom curuze[*] ペペロンチーノ[*]

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