動物園のクマさんのコメント: 更新順
マッチ工場の少女(1990/フィンランド) | 冒頭の機械の無表情な動きがこの映画そのものなのだろうが、マッチの作り方、とか、納品チェックの中身、とか本題とは異なるものに惹かれているうちにあれよあれよと落とされていく。カティ・オウティネンは少女には見えないけれど、バーでのナンパで見せた笑い顔が頭から離れない。 | [投票] | |
愛しのタチアナ(1994/フィンランド=独) | 常に画面の中央に人間がいて、それなのに何もしない無愛想さがとても際立つ。それでもタチアナと心通わす成り行きは、派手ないきさつ渦巻く巷のラヴストーリーを蹴散らす力強さがあり、たまらない。 | [投票(3)] | |
僕たちは希望という名の列車に乗った(2018/独) | イデオロギー対立、西対東、自由讃歌みたいな構図が勧善懲悪の単純な枠組みに嵌められていて鼻白らむ。でも、強制や不自由さ、やるせなさに反発する青いエネルギーを中心に置いた数多くの映画と同じように、私はこの手の物語に弱い。 | [投票] | |
地下鉄のザジ(1960/仏) | 様々な技法を試しているかのように楽しそうにふんだんに使っていて、当時のパリの原色のポップな色合いとリズムが調和している。ただ、それで、楽しい映画にはなっていない、のはなんで? | [投票] | |
遠い太鼓(1951/米) | 美しい画作り、特に水中の美しさ、その中でも殊にワニの美しさ、は驚き。ウィルヘルム・スクリームはこの映画が最初、だそうですね。ハリウッドの職人さんたちの名人芸。 | [投票] | |
招かれざる客(1967/米) | 旧弊状況を打ち破るのは、いつの時代でも、かの娘さんのような人だ、もちろん、性別も年齢も肌の色も無関係。多くの人はメイドさんのいう通り「よくも振り回してくれる」と嘆くだけ。映画の面白みには甚だ欠けるが、分かりやすい構図と分かりやすい名演。 | [投票] | |
真昼の死闘(1970/米) | コケティッシュと形容詞がつくシャーリー・マクレインの不思議ちゃん的魅力、『火山のもとで』の神々しさをちょっと思い出させるガブリエル・フィゲロアの撮影。何かほわーっと見られるんだよなあ。西部劇というより、ラブコメ? | [投票] | |
万引き家族(2018/日) | 映画好きの首相が無視する、のと、日本の縮図を描いたと叫ぶ、のとは同次元だから口にするのはやめておいて、樹木希林の早々の退場に快哉。見えない物を見えているかのように見せる演出がつらい。安藤サクラと松岡茉優 の行く末が心配。 | [投票] | |
阪急電車 片道15分の奇跡(2011/日) | 一編一編ずつの短編小説と、短編小説を関連させる本作の違いは何か。短編小説の主人公それぞれの背景に厚みを持たせるには必要、ということなのかな。だとしても、各々の短編小説に深みが足りないなあ。芦田愛菜の将来も少し心配。 | [投票] | |
歩いても 歩いても(2007/日) | 舞台挨拶で原田芳雄が撮影中のことを訊かれて「女性陣は心臓が二つも三つもあるからいいけれど、一つしかない私は針の筵だった」とか言ってたっけ。わざとらしいつなぎと捨てカットをカバーして余りある夏川結衣と子役たち。淡々とした日常なんてどこにもないっていうことだ。 | [投票] | |
メタモルフォーゼの縁側(2022/日) | 久々に見た、ちょっと種類は違うけれど、『翔んだカップル』以来かな。女の子の全力でのこういう身振りはだいすきだ。もちろん芦田愛菜の走りのこと。 | [投票] | |
観察 永遠に君をみつめて(2007/日) | 望遠鏡を通して視るピンボケな輪郭。見られていることしか感じられない輪郭さえない気配。そして、極端なアップの唇、乳首、歯並び、足元、踵。はっきり見える部分とぼんやりしか言えない全体の対比。観察には、その中間はない、たしかに。 | [投票] | |
The Guilty/ギルティ(2018/デンマーク) | 映画に騙されることはよくあるが、騙されてたと気づく快感も期待していたりする。しかし、この映画は騙すためではなく、主人公と観客が共同して状況を誤読していく不愉快な想像でできている。だから、最後は自己開示しかないんだろう。 | [投票(1)] | |
ラストレター(2020/日) | 松たか子 の白いカーディガンとゆらゆら揺れる森七菜がひたすら素晴らしかったけど、作り物をひたすら作り物でしか終えられない演出と意味ありげにゆらゆら揺れるボケ味好きのカメラはどうしてもサブイボが出る。 | [投票] | |
わたしの叔父さん(2019/デンマーク) | 見える、聞こえる、によって作られること。見せない、聞かせない、によって作られること。どっちにしても、映画をみる、は作る行為に加担する、という原初的な反省をさせられた。いいところまで行っているように思うけど、こういう作り方は危うい一線、ちょっと違うけど小川プロとブレッソンの間のような。 | [投票(2)] | |
スポットライト 世紀のスクープ(2015/米) | 世紀のスクープってな副題が虚、冗談だということだろうし、追う側、追われる側、共に表に表れる劇画のような出来事は無いってことだろう、鈍色の画調がピッタリ。途中からレイチェル・マクアダムス を見るだけが楽しみになった。 | [投票(1)] | |
ボヘミアン・ラプソディ(2018/英=米) | 何がいいのかさっぱりわからん映画だったけど、再見してエンドロールが一番良かったってわかった、やっぱりブライアンはかっこいい。 | [投票] | |
牛泥棒(1943/米) | 厳格な映画だ。1日の出来事を75分に濃縮させる、的確なカットの積み重ね、削ぎ落とされた台詞。完璧主義者だったらしいこの監督の省略の才は、80年の時間が経てもそう簡単には超えられていない。 | [投票(1)] | |
シン・ウルトラマン(2022/日) | 怪獣の哀しさ、ヒーローの哀しさ、人間の哀しさ、怪獣映画には哀しさが欠かせない。なのに、この映画にも前作にも哀しさのかけらもない。小さな隙間からの覗きの多用など、もちろん絵作りについても語る価値を感じない。長澤まさみの巨大な脚線美に加点。 | [投票] | |
ハスラー(1961/米) | エンドロールがいい。ジャッキー・グリーソンがコートを着て立ち去り、ジョージ・C・スコットが脱力のポーズで腰掛け、その横をいつものように床を掃く従業員。なんとも言えない虚無感。 | [投票(1)] |