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[コメント] HERO(2002/中国=香港)

どんなに美しく洗練された映像を見せつけても、ワイヤーアクションとは、所詮は半笑いを誘うB級映画である。宙吊りの「死に体」同士の戦いを展開する時点で、アクション映画の決定的な何かを欠いている。
東京シャタデーナイト

少し前だが、フィリップ・ドゥクフレというフランスのダンスの演出家が日本で開催した、 身体を宙吊り状態で作品を作る「空中ワークショップ」という企画があった。 その発表会を観に行ったのだが、人間の身体を宙に吊り上げた状態で、 どのような表現ができ、どんな作品を作る事が出来るかを試す、 少し風変わりなワークショップだった。 後日、ワークショップに参加したメンバーの話を聞いた時、 彼はそのワークショップで体験した宙吊り状態が、いかに不自由で 日常で修得した動きをすることが、難しかったかを語っていた。 身体の重心を失い、反作用の力を奪われる事で、 いかに日常で修得した動きをする事が困難だったかを。

ドゥクフレはサーカスの要素をダンスに吹き込む演出をすることで知られている。 しかしながら、サーカスで観られる空中ブランコを初めとする空中芸は 決して重力を拒絶するような、宙吊り状態になることはない。 自らが鍛練した力で重力と向き合い、時には重力を利用しながら 自身の身体に重心を維持しながら空中に居続けることで、初めて表現する事が出来る。 吊るということは放物線を無視し、身体訓練に対する配慮を欠いているという気がしたものである。

ワイヤーアクションとはまさにその宙吊り状態で演技を迫る方法である。 そのような状態の中では、いかにジェット・リーの身体能力を持ってしても その他の俳優達と同じ身体の動きしか表現する事は出来ない。 役者が自らの重心を維持できない状態で、底の浅いポーズだけを見せられても、「は〜あ、そうですか」という程度のもので、 地を蹴って描く美しい放物線のような、必然的な過程は何一つ見られない。

最近ではワイヤーアクションは当たり前になりつつあるが、 それでも結局のところ、宙吊りとは所詮コマ劇で空を飛ぶ ピーターパンのようなファンタジーの世界である。

力の入らない状態で、みてくれだけのポーズを見せられて、心動かされるものだろうか? 上辺の美しさだけで、何一つそれにいたる人間的な過程を観る事は出来ない。 人が地味な時間をかけて、重力と向き合い、重力を利用して作り上げた能力。 そういう身体表現に敬意を持っていれば、ほとんどのシークエンスを宙吊りで見た目だけの虚しき世界を作り上げようとは 思えない気がするのである。 勝手な推測でモノを言うが、ブルース・リーが生きていたら、宙吊りにされることを 拒んだのではないだろうか?(そう願いたい。)

「吊っちまえばいいんだよ」現場や構想段階でこんな会話があるのかどうか知らないが、なんとも暴力的な響きだ。 アクション映画の主流がいつから身体能力を無視したファンタジーになったか知らないが、 エンターテイメントから人間性がますます失われてゆく悲しい成り行きがそこにあるような気がする。

(評価:★3)

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