コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 國民の創生(1915/米)

映画が政治的に利用(活用)されることは特段めずらしいことではなく、(政治的であることをもって本作を批判するのはあまり意味がなく)、何故、KKKを正当化するような主張がこの「1915年」に、大衆に向けて発信されたのかを想像することの方が重要だと感じた。
ぽんしゅう

今となっては人種差別映画として悪名高い本作ですが、途中までは理不尽な抑圧から解放された者たちが、その逆バネの勢いに乗じて手に入れた「正義」を乱用し、つぎの支配者として新たな抑圧システムを生むことへの警鐘の話にみえました。ここまでは実に見識深いまっとうな主張で、後年、W.D.グリフィスは(本作を反省するように)『嵐の孤児』(1921)でも、フランス革命によって解放された市民たちが新たな支配者層として暴走するさまを「慎重」に描いていました。

そんなグリフィスが、KKK擁護というかたちで黒人差別を正当化してしまったのは1910年代の世の中の空気に関係していたのではないかと思いました。1914年、ヨーロッパで第一次大戦が勃発しました。しばらく静観していたアメリカは、国民のあいだに徐々に起きてきた反ドイツの世論に後押しされるように、本作公開の2年後に参戦し、このヨーロッパの戦争は「世界大戦」となっていきます。本作で描かれた「黒人差別」の正当化の意味は、奴隷から解放され暴走する黒人たちに、軍事的に台頭するドイツを暗に重ねて脅威を煽り、アメリカの国際的位置を再確認させることにあったのではないでしょうか。そう考えると「The Birth of a Nation」という題名もうなづけます。

グリフィスが、どこまで意識していたのかはわかりません。時代の空気が、そうさせたのかもしれません。たぶん確かなのは、1910年代当時のアメリカのナショナリズムは白人によって形成さるものであり、黒人は“いまだ得体の知れない”者たちであり国民(白人)の敵を連想させる手段として「利用」されてしまう、言いかえれば「利用」してもかまわないという状況に甘んじていたということなのでしょう。

その時代を代表する“最も”アクティブなメディアは、何かを主張したい者(それは政治家もクリエイターも同じ)にとって、“最も”有効かつ強力で魅力的なプロパガン手段です。そのことこそが、100年以上前の最先端メディアだった「この映画」から、今さらながら、しかし、今も“最も”学ぶべき重要な教訓だと思いました。

みなさん、人を「利用」しないよう、されないように気を付けましょう。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)DSCH

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。