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[コメント] 冬薔薇(ふゆそうび)(2022/日)

人生の終幕を向かえている夫婦のもとに行き場をなくした者たちが生きるために吹き溜まる。誰もが“後悔”を秘めながら。これから始まる長い人生の入り口で世間の歯車と噛み合わず人生の軌道に乗れない若者たちがいる。彼らが“後悔”を得るにはまだ経験が足りない。
ぽんしゅう

阪本順治伊藤健太郎の芸能界復帰のために準備した企画だそうだ。半端じゃない者など、長い人生どこにもいない。阪本はこの物語でそう言っている。

弱者を演じる淳(伊藤健太郎)に同情し手を差し伸べるアラサー女(和田光沙)が出てくる。私が支えなければこの男は駄目になる。彼には私が必要なんだ。女はそう思ったに違いない。そして女は淳(伊藤)を「人に近づくと相手は逃げていく。相手から離れると誰も近づいてこない」と評したという。この言葉は彼女の自嘲でもあったのだろう。彼女もまたリアルな世界を生きながらも欠落感に苛まれる自分の半端さに気づいてるのだ。

阪本順治は半端にしか生きられない者たちを、自己責任だと非難したり、家庭の問題だ、いや社会が悪いのだと犯人捜しをしたりしない。といって同情もしない。彼らに向けられる眼差しは優しい。俺も同じなのだからという共感の眼差しだ。

振り返ってみれば『ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年』から始まり『団地』『一度も撃ってません』『半世界』、そして『冬薔薇』へと続く阪本作品には、人生において「何かを得る時期が終わりを告げ、今まで得てきたものを失っていく世代」の郷愁が漂っている。ただしその郷愁は抒情的な湿り気を排除した“乾いた郷愁”だ。阪本と同世代である私には、その心境が身に染みて分かる。情緒的な感動はもういらない。抱え込んだ“後悔”を鎮める少しだけの共感と安らぎが欲しいのだ。

盲人と白杖のエピソードが唐突に出てくる。伊藤健太郎が起こした交通事故のシチュエーションを模した顛末のようだ。阪本が彼に準備した贖罪のシーンなのだろう。そこで見せる伊藤の笑顔のアップが印象的だ。優しいな、と思った。これが“後悔”への少しの共感と安らぎです。

(評価:★4)

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