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[コメント] 空白(2021/日)

見当違いの正義を振り回したり、挑発的な極論で悪目立ちしたり、逆に現実から目をそらし無視する人に出会ったとき、その背後に強固な孤独の存在を感じる。自分を理解して欲しいと思えば思うほど、他者が理解できなくなるという、孤独と「理解」の無限スパイラル。
ぽんしゅう

生来、短気で不器用な充(古田新太)は、妻の去った家庭で接し方の分からない娘とのコミュニケーションをなかば放棄し、仕事では年齢的な体力の衰えを感じ漁師という職業に不安を感じていたようだ。娘の花音(伊東蒼)は、学校というコミュニティのなかで周りとテンポが合わず、家庭では高圧的な父の前で圧倒され、唯一の理解者である再婚先の母(田畑智子)とのつながり(スマホが象徴的)でなんとか孤独を免れている。

地場スーパーの跡取り息子・青柳(松坂桃李)は、おそらく「地元と家業」という枷に縛られながら成人し、その呪縛が招いた甘えのすえの“後悔”と引き換えに店を継ぐことになってしまったようだ。そんな青柳の窮地を無神経に鼓舞する独身の中年女店員(寺島しのぶ)は、人のためのであるはずの「奉仕」を自我の欲望の充足手段にすることで、人(世間)と己の境界を曖昧にして孤独から目をそむけているのだろう。

不慮の出来事で他人の命を殺めるきっかけを作ってしまった女(野村麻純)もまた、自責の念を癒す術を封じられ永遠の孤独と向き合ってしまったようだ。さらに言えば、メディアの煽りに乗じて、他人の不幸をエンタメ化して消費することで日常(平静)を保っている人々(私たち)もまた、大なり小なりの孤独を自覚しているのでは。

孤独な人々のSOSがぶつかり合い平穏を攪乱する。そんな混沌を鎮める鍵は「理解すること」だと、私たちは(当然のように)気づいているが、それが出来ない。自分の孤独を理解し自覚すること。他者に孤独を理解してもらうこと。他者の孤独を理解すること。どれから始めればいいのだろうか。正しい方程式はなさそうだ。

物語は二つのヒントを示唆する。ひとつは充(古田新太)を「触発」する、かつての過酷な孤独を克服し希望を手に入れた元妻(田畑智子)の(正の)理解と、壮絶な孤独に耐えている喪服の女(片岡礼子)の(負の)理解。もうひとつは、無条件の信頼や敬意(それは利害関係でもかまわない)が「触媒」となって生み出す、若い船員(藤原季節)や名もなき顧客(奥野瑛太)の“つながりたい”という無邪気で無垢な理解だ。

吉田恵輔の映画は、いつもシビアだが決して人を見捨てない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] おーい粗茶[*]

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