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[コメント] ドライブ・マイ・カー(2021/日)

感情によって人の行動と言葉が規定され、その言葉と行動によって人の感情が縛られる。ならば「感情」と「行動」と「言葉」を解体することで、妻との距離を見失った家福(西島秀俊)と、自分の存在を消去したみさき(三浦透子)の再生を物語たる、という試み。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







三つの「感情」と「行動」と「言葉」についてのスリリングなパートが互いに触発し合いながら再生の物語が綴られる。過剰な演出もなく淡々と話しは進むが最後まで緊張感が途絶えない。

ご注意〕以降、ラスト及びそこに至るネタバレがあります

一つ目は、無意識の内側に他者を受け入れることで成立する「多言語劇」のための台本の読み合わせパート。演出家、家福(西島)は、文字をただの文字として声に出して読むことで「感情」を消滅させ、意味ではなく音として言葉を身体に取り入れることで出自や文化や言語の境界を無化して交感することを役者たちに要求する。いったん丸裸にして身体に入れた「言葉」に「感情(自分自身)」を乗せろ。その「感情」のままに動け(「行動」しろ)と指導する。その持論のままに家福(西島)は、私たち夫婦は十分に語り合い「言葉」の交感をしていたと若い俳優、高槻(岡田将生)に語る。それを受けて、無意識に「行動」が先行してしまうことを非難された高槻(岡田)は、まず(女)と寝てみないと(「行動」しないと)分からないこともありますよ、と反論する。絶句する家福(西島)。

二つ目は、家福(西島)の妻(霧島れいか)が語る、想いを寄せる級友の部屋に忍びこむ「女子高生の告白」という創作ドラマ(原作未読ですが、いかにも村上春樹風)。ドラマでは「言葉(問いかけと了解)」を封印した「行動(一方的接触)」のみで「感情(抑えがたい恋情)」の疎通をはかることの危うさが示唆される。話しの流れはこうだ。女子高生の接触願望と恐怖(痕跡のみの交換)は→疑似接触の禁止(自慰封印)→接触からの逃避(前世はヤツメウナギ)→自己接触の解禁(性欲解放)→強制接触の突発(予期せぬ(主の)接近)→《さらに事後談として》→暴力的接触(強姦と抵抗)→接触の一方的切断(存在消滅、すなわち永遠の「言葉」の喪失)へ。「言葉」を恐れ「行動(接触)」のみが肥大化し欲望と同化してしまい、他者(裏返しとしての自分)の存在を見失う物語だ。このパートの特異さは、事の顛末が映像ではなくすべて台詞として「言葉」で語られる点だ。唯一“ヤツメウナギ”だけが映像として可視化される。

三つ目は、家福(西島)とドライバーのみさき(三浦)が世事との回路を遮断する「赤い車」の密閉空間パート。ここでは、みさき(三浦)は存在を完全に消し去り運転(「行動」)に徹することで自身の過去と同化し、家福(西島)は亡き妻の朗読(「言葉」)と同化することで「感情」を消し去っている。ところが、先の二つのパートで生じた家福(西島)の高槻(岡田)に対する遺恨と違和は、自身の存在を消していたはずのみさき(三浦)の「存在」を意識し始めることで緩和されていく。家福(西島)の「言葉」と「感情」のこじれは、自身の意思を捨てて、みさき(三浦)に“行き先”や“時間”を託すという「行動」を起こすことで、互いの存在によって客体化されてゆくのだ。二人の間で「何か」が了解されことは、密閉空間から“外部”へ突き出された二本のタバコによって象徴される。それは弔いの線香のようでもあり、同志が挙げた小さな松明、あるいはささやかな狼煙のようでもあった。

ラストシークエンス。「赤い車」は、みさき(三浦)の所有物になったことが示唆される。妻と一体化し自分を見失っていた家福(西島)は、自分と妻との距離を自覚し受け入れたときに、その「赤い車」を手放すことを決意したのだろう。他人のために運転することでしか、自身の存在を自覚できなかったみさき(三浦)は、自分のために運転するその「赤い車」を得たことで、過去との距離の精算を終えたのだろう。この理屈っぽい構造で物語られた物語は、いたって明快なスチュエーションの映像化で幕を閉じるのだ。

よくもこんな複雑な構造をもった脚本が、言語の壁を越えて国際的な評価を得たものだと感心する。やはり物語を、さりげない「連続した映像」へと気負いなく託す術を心得た濱口竜介の才に負うのだろう。きっちりと、人物を凝視しするように捉える四宮秀俊の映像も印象に残った。

(評価:★4)

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