[コメント] 主戦場(2018/米)
たとえ「日本会議」が霧消したところで、この図式は役者を代えて延々と繰り返されるのでしょう。慰安婦問題が、互いの自尊心を満足させるツールにおとしめられている限り、言いかえるとこの問題を韓国も日本も国家の枠内で論じている限り、さらに言いかえると永遠に(たぶん、両国がこの世から消滅しない限り)なくならないと思います。
慰安婦は、強制連行だったとか、自らの意思だったとか、20万人いたとか、いなかったとか、自由を制約された性奴隷(なんと酷い単語でしょう)たっだとか、金銭目的の売春婦だったとか、実行の主体は日本軍(国)だったとか、民間業者だったとか・・・・。悪いのは、ちゃんと謝らない日本政府だとか、約束を反故にする韓国政府だとか、話を蒸し返す韓国の人権団体だとか、事実を塗り替える日本の歴史修正主義者だとか、若者に過去の恨みを刷りこむ反日教育だとか、ちゃんと教えない日本の教育(これは私もダメだと思う)だとか、etc。
そんな議論に、よしんばひとつひとつ「正解」を見出したところで“慰安婦問題”の何が解決するのでしょうか。さんざん繰り返されて来た、食い違いのための食い違いの構図をなぞりながら、いつもの左右対決の呪縛から抜け出せないこのドキュメンタリー映画には「慰安婦問題入門:左派編」くらいの意義しか感じませんでした。
作中のアメリカのどこかの市長(だたっと思いますが)の、慰安婦問題とは「アジアの少女たちに起こった人権侵害問題」だという発言の先に微かな光を感じます。もっと言うと、この「少女の人権」から「少女」という限定すら取り去って、これはシンプルかつ重大な「人権」の問題なのだと、あらゆる人が認識したとき慰安婦問題は、シンプルかつ重大な普遍的な課題となるのだと思います。
「政治」ではなく「倫理」の問題として慰安婦の存在を捉え直すことで、この問題は“解決”を得るべきものではなく“教訓”を導き出すべき問題なのだということに万人が気づくのではないでしょうか。
余談です。今年(2019)の春先の公開から気にはなっていたのですが、何となく気のりせずようやく7月下旬に重い腰を上げて観にいったのですが上映トラブルで鑑賞を断念。その後、あまりのロングランに、いつでも観られるだろうとプライオリティーは一向に上がらず、12月の声を聞く前に再び重い腰を上げて観にいった次第です。慰安婦ならぬ“従軍慰安婦”問題で失態を演じ、声が小さくなった朝日新聞に代わっての反右派プロパガンダは、朝日新聞を超えられなかった、というところでしょうか。
2019年12月4日記
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