[コメント] ブラック・クランズマン(2018/米)
若き黒人警官ロン(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、警察組織という「公」のなかで「個人」として高みを目指すことで差別という理不尽な状況から抜け出せると考えていたのだろう。それは違うとスパイク・リーは言っている。必要なのは硬直化した「公」ではなく「共」として連帯することなのだ。そのために、一人ひとりが“今”も差別し、差別されている現実に気づけと言っているのだ。(本作では差別される側のユダヤ人だって、アラブ人との関係を思い起こせば・・・・)
リーの挑発は、偶然にも植民地化も奴隷化もされず、自分の国は単一民族国家だという幻想を信じ、金にあかして手に入れた国際的ポジションを誇り、我々は「名誉白人」なのだと勘違いしている、私を含めた日本人も実は“今”、お前らは劣等だと密かに思っている誰かから差別され、無意識のうちに自分より劣等な存在を幻想し、誰かを差別しているのだという現実に気づかせてくれる。
導入部に置かれた白人の優位性を朗々と語る演説は“滑稽”と“不快”を往還して不気味だった。巻末に置かれた、我々もニュースで目にした記憶に新しい“現実”には「やれやれ」という嘆息を禁じ得ない。その現実が「生っぽい」だけに、間に置かれた「あるべきカタチ」としてのエンターテインメント・パートは、もっとラジカルで奇想天外でもよかったのではないだろうか。
強烈に提示された“滑稽”で“不快”な“現実”の痛みが、エンターテインメントとして痛快さにまで昇華しないもどかしさが残った。怒り狂っているようで意外とスパイク・リーは理性的で、これ以上の「過激な戦闘」は志向していないのかも知れない。
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