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[コメント] 彼女の人生は間違いじゃない(2017/日)

冒頭の霧にけむる冬のおぼろげな桜並木が印象的だ。心身を傷つけれら人間関係までもズタズタに分断された人たちの話しだ。彼らは「頑張ろう」とか「きずな」などという紋切型の“言葉”のらち外にいる人たちだ。そんな正直な彼らの姿が冷静に的確に描かれていく。
ぽんしゅう

それなのに、観終わってどうにも居心地の悪い違和感が残った。あまりに性急な結論のせいだと思う。あの震災や原発事故の当事者でもないお前に、何が分かるのだと言われるかもしれない。私か引っかかっているのは、被災していようがいまいが、当たり前のことなのだが、人の心のありようは様々で、決して同じではないという部分なのです。

例えば想像もしていなっかた困難にみまわれたとき、その苦痛に一生耐え続ける人、不運な運命だと諦めてしまう人、不幸を恨んで泣き叫ぶ人がいるだろう。あるいは、現実から目をそらし、無理にでも記憶から消し去る人、あっ気らかんと何もなっかたことにする人、すべてを捨てて逃げ出す人がいるかもしれない。逆に、他人の激励や厚意に救いを求める人、生活のためにがむしゃらに行動する人、何かをきっかけに再生の光を見出す人もいるだろう。どの「人生も間違いじゃない」はずだ。

何故、みゆき(瀧内公美)は震災後にデリヘル嬢になったのだろうか。生きているという実感(身体感覚)を得るためだろうか。それとも、生死の境を目の当たりにした者特有の後ろめたさに対する贖罪のためだろうか。

平凡な地方の女性公務員が震災をきっかけに渋谷のデリヘル嬢になるのではなく、週末の渋谷でデリヘル嬢をしていた分けありな女性公務員が震災の被害にあった話しだったら、この映画の結末を性急だと感じなかったかもしれない。

なぜなら、震災の被害者以外にも心の置き所を失て迷いながら必死で生きている人々はたくさんいるのだから。東北の震災被害者に、被害者だからという理由で「間違いじゃない人生」を背負わせるところに、本末が転倒した違和感を感じたのだと思う。

■追記(2017.8.14)

朝日新聞の書評欄で「震災風俗嬢」(小野一光/太田出版)という本が紹介されてた。東北の震災を機に風俗嬢として働きだした女性が本当にいるらし。紹介者は「ここに書き留められた、微かな希望や、人間らしい、小さな欲望や悔恨のひとつひとつが、胸を打った」と感想を述べ、映画『彼女の人生は間違いじゃない』の原作本も合わせて読むことを薦めると書いていた。

やっぱり私は“当事者でもないお前に、何が分かるのだと”と言われてしまったようだ。私は先の震災にみまわれた人々について何も分かっていないのかもしれない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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