[コメント] 彼らが本気で編むときは、(2017/日)
女に生まれた者たちは女で“ある”ことでジェンダーの煩わしさにさらされ、女の姿を得られなかった者は過剰に女“らしく”ふるまうことで社会的な違和にさらされる。この“らしく−ある”ことの人間的生理と社会的意味との精神衛生上のバランスに正解はあるのだろうか。
男の不実にさらされ続けるも、妻という制度のなかで耐えた女。母であるまえに女であることを選んでしまう母。母の愛情を感受することなく、やがて女から母になるかもしれない少女。母から得た身体の性を破棄して女になろうとする者を全肯定する母。
トランスジェンダーという課題は、母と子の有りようを経て、いつも女という生き物の葛藤に行きつく。示唆に富み、絵空ごとに逃げない誠実な作品でした。
『かもめ食堂』の毅然とした颯爽ぶりで多くの映画ファンの耳目を集め、『めがね』の薄気味悪さで、そのファンの半数を失った荻上直子さんが、やっと正気を取り戻し地に足のついた映画を撮ったことは、まことにもって喜ばしいことです。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。