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[コメント] ゼロ・グラビティ(2013/米)

リュミエール兄弟以来、現時点の3DとCG技術を結集して見世物映画の到達点をカタチにすること。枝葉を切り落とし虚無からの復活という一点に集中し純度の高い「生命の物語」を語ること。この二つの目的を達成するために「冷たくも美しい」宇宙空間が必要だった。
ぽんしゅう

私は『アバター』以来、映画への3D技術の取り込みには懐疑的だった。今年も『マン・オブ・スティール』の無節操なバカ騒ぎと「飛び出す絵」の相性の悪さに落胆して、やはり3Dの有効性は『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』や『フラッシュバックメモリーズ 3D』といった限られたジャンルにしかないのだと思い始めていた。

今回スクリーンに映し出された光景は圧巻だった。漆黒の虚無空間に浮かぶ美しい地球の輝きと、その生命世界との絶妙な距離感、子宮内で無類の安堵を享受するようなサンドラ・ブロックの船内遊泳、そして、もひとつの水の惑星地球を彷彿とさせる球体の涙。結集された映画技術の粋は、虚無と隣り合わせの美を必然としてそこに再現していた。

日々の刺激に慣らされてしまった者には気づきにくいが、今から約120年前にリュミエール兄弟の『列車の到着』を目した観客の驚きとは、これと同等ではなかったのだろうか。大げさでなく、私はこの映画技術の結実にそれほど感動した。

そんな三次元空間で語られる生命の物語はいたってシンプルだ。いや、この空間が準備されたからこそ「命の物語」は濾過され純化されたのだ。「命」を語るために作為的な「画」を重ね続けたテレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』の失敗が反面教師として記憶に新しいだろう。

視覚的な驚きというテクニカルな到達点を示しながら、「命」という哲学的な命題を理屈なしに颯爽と語ってみせる。「物理的な躍動」と「生命への思慮」という、私たちが映画に求めてやまない贅沢な要望を、アルフォンソ・キュアロンと技術スタッフは、わずか90分の劇場体験に凝縮してみせた。エポックとして映画史に記録される作品だと思う。

(評価:★5)

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