コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] X-MEN:ファースト・ジェネレーション(2011/米)

人は差異が嫌いだ。何故なら差異は人を不安にするから。不安は憎しみや悲しみ、そして暴力に簡単に転化する。つまり、この不安こそが、人は永遠に幸福を手にできないかもしれないという不安を生む元凶でもあるのだ。連綿と続き歴史をつむぐ厄介な連鎖である。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







そんな、不安がいかにして生み出され増幅されるかを検証して見せた映画である。ミュータントという少数者集団の苦悩をホロコースト、冷戦、核戦争危機という史実のなかに位置づけることで、現代世界が抱え込んだ問題を浮き彫りにし、SFフィクションとして地に足の着いた説得力を生んでいる。さらに、英語、ドイツ語、ロシア語の使い分けも誠実である。差異の顕在化にあたって言語を忠実に再現することは重要だ。

外観が、イズムが、美意識が違うという不安。マジョリティ(多数者集団)はそんな差異に、優劣という概念を持ち込んで自分たちを正当化する。その正当化は、たいてい根拠がともなわないため必然的に相手を力でねじ伏せることになる。一方、そんなマジョリティの思考停止状態は、マイノリティ(少数者集団)の不安をかき立てる。そして、憎悪や悲哀をため込みながら反撃の期をうかがうのだ。感情が濃縮されているぶん、その反撃は必然的に過激さを増すことになる。

「ただ命令に従っただけの善良な兵士たち」を傷つけるなと叫んだエグゼビア(ジェームズ・マカヴォイ)に、エリック(マイケル・ファスベンダー)は「それ(命令に従っただけの善良な兵士たち)が、俺を虐げたのだ」と喝破する。根拠なき暴力集団の駒と化した人間の恐ろしさ。思考が停止してしまった者の罪を糾弾する正論である。

米ソ両軍からミュータントに向けて放たれた砲弾(ミサイル)は、濃縮された憎悪と悲哀の反撃に合い、行き場をなくして中空で停止する。互いの不安を託されながら、善と悪の境目を見失ったように、マジョリティとマイノリティの頭上で戸惑い彷徨う「不安」げな砲弾(ミサイル)群。そこに、分りやすさという甘い毒に満たされた二項対立論の欺瞞を突くマシュー・ヴォーンの良心をみた。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (10 人)はしぼそがらす[*] ババロアミルク のの’ stag-B ペンクロフ[*] すやすや[*] 死ぬまでシネマ[*] ロープブレーク[*] Orpheus Walden[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。