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[コメント] 少年メリケンサック(2008/日)

多かれ少なかれ、また期間の長短はあれ、ある時期の少年はみな「鋭利」である。社会のシステムを受け入れ、そのなかに自らの身を置いたときから少年は大人になる。それはまた「鋭利」さを捨てることであり、その後で彼らは必ず「あの頃は俺も・・・」と口にする。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アキオ(佐藤浩市)は「鋭利」さを捨てられなかったとう意味で少年、すなわちガキだ。アキオに引きずられるヨレヨレボーカル(田口トモロヲ)、切れ痔ドラム(三宅弘城)、むくれギター(木村祐一)たちもまた、大人と呼ぶには何かが欠落した未熟な中年たちだ。

一方、一旦システムを受け入れ、そのなかに浸った大人には、彼ら「少年メリケンサック」の未熟さの本質が見えなくなっている。かつてパンクバンドのメンバーでありながら、事業という金儲けの道を選んだレコード会社社長の時田(ユースケ・サンタマリア)。懐古趣味でパンクバンドを扱うニュースショーと、どこかで見たことのある白髪の老年キャスター(中村敦夫)。彼らが、「少年メリケンサック」に見い出そうとしたのは「あの時代の若者には反抗するパワーがあった」であり、そして「あの頃は俺も・・・」という大人の常套句だ。

テレビ番組への出演話がでたとき、メンバーたちは子供のように興奮する。何のことはない、虚勢をはってみたところで彼らもまた、テレビというメジャーな世界に、自らからめとられることを無自覚に望んでいる未熟なガキでしかないかのように見えた。ところが私たち観客も、あの社長やキャスターとともに、カウンターパンチをくらうことになる。奴らが捨てることのなかった「鋭利」さとは、場所をわきまえず、いやむしろテレビ放送という場だからこそ「ニューヨーク・シティマラソン」を確信犯的に、そして無自覚に叫び続ける未熟さだったのだ。

相変わらずキレの良い脚本に、今回は骨太の反骨精神が見え隠れする。この作品は、若者の「鋭利」さをくすぐりながら、舞台、テレビ、音楽という多彩な分野を牽引してきた、そしてもう決して若者でもない宮藤官九郎の、中年を前にした決意声明に見える。前監督作では、とりとめのなっかたお祭り騒ぎぶりも落ち着いて、宮崎あおいのはしゃがせ方も心地よく楽しめた。

(評価:★4)

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