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[コメント] めがね(2007/日)

そこに集う男女の意思と行動が、漠然たる心地よさという根拠なき暗黙の了解を前提とした、有無を言わさぬ強固な掟に縛られているかのようで不快。特に首謀者と目されるサクラ(もたいまさこ)の不気味さに、エセ宗教者的胡散臭さを感じ猛烈な拒絶をもよおす。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭、サクラ(もたいまさこ)は、迎えに出た島の住人ユージ(光石研)とハルナ(市川実日子)に一礼する。しかし、迎える二人はそれに一礼を返すことはない。物語の最後、一年後に再び島を訪れ一礼するサクラに対し、あらたに出迎え側に加わったタエコ(小林聡美)も含め、やはり住人は頭を下げることなく彼女を迎え入れる。実に釈然としない、いやあえてはっきりとさせまいとするかのような気味の悪い人間関係である。そして、サクラの「たそがれ」という名のひと春の儀式がまた始まる。

それは、他人の起き抜けの寝床におしかけ、自らが扇動する奇妙なラジオ体操もどきへの参加を強要(私にはそう見えた)することであり、あばら家に日がなひそみ道行く人にカキ氷を半ば強制的(私にはそう感じられた)に喰わせ、金銭以外の何ものかで対価を支払わせるという儀式である。カキ氷なんて、もともとただの水だ。宿屋に着いたタエコ(小林聡美)が、この水を飲み干すくだりが描かれ、やがてサクラの手によってただの水から氷に変えられただげの代物であるカキ氷を喰わされるのだ。

サクラ(もたいまさこ)は、私が最も嫌いなタイプの人間である。彼女の磁場がつくりだしていると思われる一見対等にみえながら実は精神的主従関係が臭う不気味な均衡を、本来は個人的感情である選択の自由を、自発的に行使しているかのように巧みにすり替えて、いたって限定的な価値しかないフィールドに閉じ込めてしまう不自由さの強要。これはもう、たちの悪い宗教と同じである。

前作、『かもめ食堂』には「やりたくないことは、しないだけ」という至って人間として健全なメッセージのもとファンタジー的ですらある、だからこそ納得できる理想的自由郷が展開された。本作のサクラ(もたいまさこ)が発する沈黙のメッセージは、人間的に極めて不健全だ。まだ薬師丸労働宿舎の方が多少なりとも健全さが残っている。

(評価:★1)

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