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[コメント] グエムル 漢江の怪物(2006/韓国)

ポン・ジュノの目は社会システムの汚染や腐敗へ向けられているのではない。その矛盾の存在に気づかぬ者に対し警鐘を鳴らし、むしろ外見の平穏の中で麻痺し蓄積したある種の鈍感さを批判しているのだ。グエムルは日常を覚醒するために投入された異物なのだ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







日本の怪獣映画との違いは、その生物と対峙するの者たちが特殊なヒーローやヒロイン、あるいは科学や武力組織ではなく日常の生活単位である家族だという点だろう。そして、ハリウッドのそれとの違いは、死んではならない人物が死んでしまうという点にある。グエムルは我々の生活の中に忽然と現れ、我々の視線の延長線上で暴れまわり(河川敷の大暴走はガメラの渋谷破壊とともに映画史に残るだろう)、ついには我々が最も奪われたくない家族の命を奪い去る。

なんとポン・ジュノは、一家の柱である祖父(ピョン・ヒボン)と人質の少女(コ・アソン)の命をあっさりと奪ってしまう。つまり彼にとっての脅威とは、それを生み出す科学やシステムの腐敗ではなく、そのすぐそばにいながら自分の最も大切なものを失ってもなお、悲嘆にくれつつもその矛盾の存在に気づかぬ者たち(我々)の鈍感さなのだ。

事件が落着した冬。河川敷の売店で取り残されたように暮らす父親(ソン・ガンホ)と生き残った孤児の少年は、事件の真相を告げるニュースを聴くことなくテレビを消し、ただ食べることに集中する。彼らは、またある種の鈍感さに埋没して日常の中に戻っていくのだ。この鈍感さは罪なのだろうか。素直に「平穏」と言い換えても我々にとって等価なのだろうか。

お揃いのTシャツで河岸に集まり、バルーンを上げて薬剤散布反対を訴える市民たちのお祭り騒ぎ的抗議活動を尻目に、グエムルめがけて火炎瓶を投げつける伯父(パク・ヘイル)とホームレスの本気度に唯一の救いが見えた気がする。

(評価:★5)

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