[コメント] エターナル・サンシャイン(2004/米)
逆走の疾走感はカウフマンというよりも、エレン・クラスの湿気をたたえた画づらとゴンドリーの精密なフィルム刻みが創り出す間(ま)の妙味であり、脚本の深みはむしろ恋人たらんとする恋人たちと、恋人であることが許されぬ元恋人たちの対峙のさせかたに感じる。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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つまり、結末はどうあれジョエル(ジム・キャリー)とクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)の物語は予定調和の範疇にしかおさまらないことは明白であり、むしろ二人の話にある種の重みと意義を付加するために受付嬢(キルスティン・ダンスト)と博士(トム・ウィルキンソン)の不倫話を準備した点に脚本的な深みを感じる。
自ら望んだのか、あるいは無理やり説得された結果なのか、受付嬢(キルスティン・ダンスト)の消された記憶の残滓はあまりにも切ないではないか。何故なら彼女が、もしも記憶を取り戻したとしても博士(トム・ウィルキンソン)とその妻の関係の間に割って入るだけの、新たな恋愛関係の「見方(視点)」などきっと存在しないのだから。
言い方を変えれば、ジョエル(ジム・キャリー)とクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)の再生は、一皮むけば楽天的希望にあふれた通俗的ラブストーリーに納まる意義しかないのだ。まあ、そう見えないように巧みにカムフラージュされたところが、この作品のできの良さとうことになるのだろうが。
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