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[コメント] トッポ・ジージョのボタン戦争(1967/日=伊)

人形の擬人化と人間の戯画化の妙。映画的表現に固執することなく、むしろテレビ的テクニックを素直に取り込み縦横無尽に駆使する市川崑のアバンギャルド性は、まさに映像クリエーターの先駆。そういえば、当時の子供たちの間で核の話しは日常的な話題でした。
ぽんしゅう

私が子供のころ、トッポ・ジージョとその恋人ロージーの声を山崎唯久里千春夫妻が吹き替えていたテレビ版が大人気でした。でもそれが、いつの時代のどんな番組たっだのかが、どうしても思い出せずしらべてみると、1966年の朝の番組だったんですね。きっと幼稚園や小学校に行く前にていたのでしょう。

そういえば、60年代に入って、フランスと中国の核実験が頻繁になり、とりわけ中国の実験は身近な問題でした。今では信じられないかもしれませんが、このころ子供たちの間では、原爆や水爆、さらに核実験やそれにともなう「死の灰」といった言葉が日常的に会話に登場していたのを思い出しました。

実験で舞い上がったホウシャノウ入りの「死の灰」が、風にのって日本の上空にまでやってきて雨と一緒に降ってくるというのです。雨からホウシャノウが検出されたとかされないとか、ニュースでもずいぶん報道されていたように記憶しています。

親や教師はわんぱく盛りの子供たちに、雨が降ったら必ず傘をさすようにと、躍起になって指導していました。当の子供たちは「オマエ、傘ささな死ぬぞ」。「死ねへんわ!ホウシャノウは雨で薄まってるから頭が禿げるだけや」。「ほんなら、オマエ明日から校長せんせと同じやないか」などと無邪気にさわいでおりました。

五つの国の核爆弾の話しが出てきます。これは63年に採択されたアメリカ、ソ連(ロシア)、イギリス、フランス、中国に対する核拡散防止条約のことです。もともとは、ドイツ、日本、イタリアに核兵器を持たせないために発案されたスジの悪い身勝手な条約ですから、今見ても中途半端感はいなめません。

まあ、こんな条約でも存在しているから、今の子供たちは頭が禿げる心配をしなくてよくなったわけですが。でも、世界を見渡せば、何かが改善されたわけではなく、ただ見えにくくなっているだけのような気もします。果たして、子供たちの口に核の話題がのぼらないことは本当によいことなのか・・・・、ちょっと考えさせられました。

で、映画のことですが、表現は文句なしの満点。ただ、子供向けとはいえ、脚本に厚味とひねりが足りないのが残念でした。

(評価:★4)

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