[コメント] きょうのできごと(2003/日)
行定勲は手際よく、そしてさりげなく男達が抱えた「心の出来事」を匂わせていく。その出来事は彼らが昨日から今日、そして明日へと背負っていかなければならない宿題なのだ。その宿題を心に秘めたまま日々を過ごすということが、まさに生きるということであり若者にとって成長するというこに他ならないのだ。
しかし、女達はどうだ。真紀(田中麗奈)は、恋人中沢とケイト(伊藤歩)の幼馴染ゆえの男女を越えた関係に少しの憧れと嫉妬を抱きながら中沢に全身全霊の愛情を求める。ケイトは、カワチ(松尾敏伸)に対してどこまで本気か分からぬ不器用で幼稚なアプローチを執拗に続ける。チヨ(池脇千鶴)がカワチに示すヒステリックな苛立ちも同じ。そこには全て、自分を背負って欲しいという一方的な要求しかない。
それは過去の自分を踏まえないがために明日の自分が見えないという不安でしかなく、彼女らの孤独な「心の出来事」は独善的にすら見えてしまう。そこには自ら成長する可能性を棄て、目の前の状況に依存する魅力のない若者の姿しかない。その証拠に唯一、過ごしてきた時間への虚しさを漂わせる女子高生(派谷恵美)が、座礁したクジラとの出会いをきっかけに明日を見つけたかのように夜明けを迎えるのと正に対照的である。
もう一度書く。私はこの若者達が大好きだ。
だからこそ、男と女の関係が背負い背負われるという一方通行の閉塞的なベクトルで終わってしまうのが嫌なのだ。女をこんなカタチで描いてしまった行定勲を、残念ながら私は支持するわけには行かない。そして、この作品を観た若い女達が真紀やケイトやチヨに反発こそすれ、決して共感などしないことを願ってやまない。
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