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[コメント] いのち・ぼうにふろう(1971/日)

仲代、勝新、佐藤慶、岸田森、そして中村翫右衛門…。序盤のゾクゾクするような期待感が次第に失望へと変わっていく。
町田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず作家山本周五郎の二大特性から本作の問題点を指摘したい。

(壱)山本周五郎の「女嫌い」

これが彼自身の性癖や戦後体験に基づいているのかどうかは知らないが原作者の娼婦・悪妻・因業ババァに対する憎しみは相当なものである。この特質は、黒澤が映画化した『赤ひげ』などにも顕著であるが、本作では主人公・定七(仲代)の不幸な生い立ち”娼婦に落ちた母に偶然再会、怒りの余り斬り殺した”の中に如実に顕れる。

定七の過去についてのこの設定は、”知らず”と異名をとるほどに他人に無関心だった彼が、一転して山本圭と酒井和歌子の悲恋に肩入れするようになる動機(*即ち自身の父母と似通った境遇を辿ろうとしている若い二人に対する同情と、訳も訊かずに斬り捨ててしまった母への謝意)として物語全体にフィードバックして来るわけであるから、映画化するに当たっては(回想シーンなども駆使し)丁寧に描かれてしかるべき重要箇所だったはずだが、仲代夫人でもある隆巴の脚本ではフザけたことに余り重視されておらず、”ひ弱な山本の意気に感じ入ったから”、なんていう如何にも当時の左翼が好みそうな、甘っちょろい連帯感にすり替えられてしまった。

栗原小巻演じるヒロインの、およそ義賊の娘とも思えぬ清楚なお嬢様ぶりも、原作者や主人公のアバズレ嫌いに由来するのだろうが、はっきりいってアホらしかった。ああいう独善的な女を映画に出さないで欲しい。一方、酒井和歌子は本当に貧乏臭く役に良く馴染んでいた。

(弐)山本周五郎の「人情挿話」

大筋(ストーリライン)に対して必然性のない人情話=ヒューマニズムを登場人物の過去の体験談として盛り込み、それによって読者(観客)の涙を誘ったり、また訓戒を垂れたりするという原作者お得意の手法は、訪れた浦安での体験談をエッセイ的に綴った傑作『青べか物語』や、一人の青年医師が世の実情を直視し成長して行く姿を描いた長篇『赤ひげ』といった作品に於いては非常な効果を発揮しているが、本作のようなオーソドックスな展開を持つ中篇小説には決定的に不向きである。

しかし原作の持つそういった構造的な問題を、映画化に当たって如何に自然に、スマートに再編するかが脚本家の腕の見せどころであり、それに失敗している以上、やはりこれは脚本家隆巴の責任といわざるを得ない。

具体的に云おう。本作に於ける勝新太郎演じた謎のヨッパライの存在、ありゃ一体なんだ。さんざ期待させておいてコレか!と椅子からずり落ちてしまうほどの白々しさである。物語全体に対する期待と「勝新だから」という映画ファン的期待とを同時に、粉微塵に裏切ってくれた、ある意味実に印象深いシーンであった。

偉く回りくどくなったが、云いたいことというのはつまり低得点を付けている皆さんと一緒で、胡散臭いと、擬似ヒューマニズムの匂いがプンプンすると、つまりそういうことである。

最期に映像について。

岡崎宏三・下村一夫による映像は毎日映画コンクール撮影賞作品というだけに全般的に美しい。渡河シーンに於ける水面へのライティングは遣りすぎかとも思ったが、強烈なコントラストで描かれる夜が実に夜らしい不気味さ、美しさを兼ね備えていた。深川安楽亭や橋の造型にも目を瞠るものがあった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)けにろん[*] 直人[*] フランコ かける ぽんしゅう[*]

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