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[コメント] 復讐するは我にあり(1979/日)

三國倍賞の関係は原作にはない映画のオリジナルで、今村らしいし、露天風呂のシーンなど傑出しているのだが、全体として見ると緒形の行動の不可解性に、安直な注釈を加えてしまうようで、どうも喰い合わせが悪い。
町田

「復讐するは我にあり」とは、新約聖書(ロマ書)に記された「主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん」からの引用で、ようするに私的制裁はいけない、因果は応報するのだから神の裁きを待ちなさい、というような意味である。「我」を緒形演じる榎津巌と勘違いしてしまうと、凶悪犯罪者による社会に対する復讐譚と読み間違ってしまうことになるので、注意が必要だ。佐木氏の原作では、冒頭にロマ書からの引用文が掲載されており、この心配はない。映画でも、せっかく格好良いタイトルなんだから冒頭にモノローグか活字、どちらでもいいから挿入すればよかったのに、と思った。

尚、榎津とモデルとなった西口彰の故郷である五島列島は、江戸初期からの隠れキリシタンのメッカである。映画ではこの部分に付いてあまりつっこんでいないようだったが、中々周到なはずし方だったと思う。

現実とも、原作とも好ましい距離感を保った、紛れも無い、イマムラ映画である。が、全盛期に比べてしまうと、馬力不足の感が否めないのが残念だ。

*コメント部に書いた問題は、純粋に馬場当の脚本の欠陥だろう。三國と倍賞の関係について、緒形が知る必要性などなく、あくまで三國と倍賞の緒形に対する秘められた罪悪感→開放感として処理されるべきであった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)Orpheus[*] ハム[*] 死ぬまでシネマ[*] 直人[*] ジョー・チップ[*] ピロちゃんきゅ〜[*] セント[*]

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