[コメント] 稲妻(1952/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
思えば戦前から戦後にかけて、常に時代を映すのはその時代に埋没する女性の姿だと思います。当時も今も変わらないのかもしれませんが、映画の中で描かれる女性は、その存在そのものがドラマとして成立するツールとして出来上がっています。
この作品に限らず、当時の時代性からすると原節子や高峰秀子、田中絹代、少し時代を変えて吉永小百合さんなどの存在感はとてつもなく大きく偉大で、尽くしがたい美辞麗句の数々では足りないものを感じます。
この作品の高峰秀子さんは、まずとにかく素晴らしい。かわいらしくて、そして兄妹の中で、もっともしっかりした末娘の役を丁寧に演じています。もちろんそれには成瀬巳喜男監督の演出力もあるでしょう。しかしながら彼女の演技の上品さ、そして笑顔と少しはにかんだ表情など、存在感そのもので十分鑑賞に値するものだと思います。
それにしても映画はとてもありがたい存在です。
この当時の風景や人間関係を上手に表現できて、しかも時代を超えてそれを体感できるんですからね。本当にありがたい。
そして、それにしてもこの映画の人間関係に実に複雑なこと。
父親がそれぞれ異なる兄妹の関係というのもユニークですが、その母親(浦辺粂子)にしても姉(村田知英子)にしても、情けないほどお人よしで、そんな女系の有り余るお人よしぶりに嫌気がさして家出する主人公。そんな関係が当時もあったことに驚きを感じます。
そしてこの遠慮のない関係。兄嫁と兄、そして兄嫁の醜悪な仕打ち。女性以上に情けない兄。こんな兄妹に何もできない母親。これは時代を超えて今も同じような関係をみることができるでしょう。
子離れできない親。そして親離れできない子。それと反比例するかのように進む核家族化。そんな今の社会よりは、こんなひどい関係であっても、この映画の中に出てくる人物たちのほうがよほど魅力的に映るのは皮肉としか言いようがありませんね。こんな時代が来ることを、この作者は予想していたのでしょうか。
家出した世田谷の家で母と子が罵り合い、そのうち窓の向こうに稲妻が走ります。これがこの映画のタイトルになった稲妻ですね。
そして二人は愚痴をこぼしながら暗い道を歩いて去ってゆきます。
なんだ、これだけ?
という思いをそのままに、後からこの映画に見出す人間関係の魅力と現実の隔たりを認識して、より胸が痛くなる思いがしますね。
2010/01/16(自宅)
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