[コメント] グーグーだって猫である(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
特別な思いの映画になりました。
1、「吉祥寺」
この映画に溢れんばかりに登場する「吉祥寺」という街は私にとって特別な街なんですね。
何しろ、学校を出て就職して、最初に配属になったのが武蔵野市。 でもって、その後結婚して、社宅で住ませてもらっていた場所も武蔵野市。
ちなみに、我が家にいる3人の子供は全員、武蔵野市で出生手続きをしています。
今も比較的近いところに住んでいるものですから、ことあるごとに「吉祥寺」へ出かけます。
この映画を家族で見ながら、みんなで騒いでいました。
「あ、”いせや”だ!」だの「おっ!井の頭公園だ」
大変生々しいお話ですが、いずれも臨場感たっぷりに拝見させていただきました。 おなかいっぱいというところですね。
2、猫
さらに、「猫」、という話題になりますと、この映画に出てくる白い猫が我が家のネコとそっくりでして(ブログをご覧ください)、そんな親近感も重なって、この映画はとても貴重で大切な映画になりました。
3、大島弓子
ちなみに、うちのママは大島弓子先生のかねてからの大ファンだったものですから、この映画を全く予備知識なしに見ていて、チラッと出てくる漫画のシーンで即座に反応しておりました。
大島弓子先生がデビューされたころというのか、かの「24年組」といわれ、大物漫画家が出揃った年なんですね。池田理代子先生とか萩尾望都先生ですね。
あまり少女漫画を読まない私でも、これらの大御所の先生方ぐらいは、少し知っています。
さて、ようやく映画のお話になったところで、あまり書くこともないのですが、このドラマで最も感動できたのが、死神に誘われて、グーグーの前に飼っていたサバというネコとの再会ですね。
サバが色々生前の思い出を語って、それを静かに聞く主人公の漫画家(小泉今日子)。この静かな関係が猫と飼い主の関係なんだな、と実感しました。
犬だとこうならないだろうと・・・
サバが、いつの間にか歳を追い越して・・・のセリフで、この映画にずっと流れていた静かな関係がどどーーっとあふれ出てきて、思わず涙してしまいました。赤く染まったシーンが印象的ですね。さすが犬童一心監督ですね。泣かせるツボを心得ていますね。
この時の答えもまたいいですね。「人間は鈍感だから・・・」
いいですね。
人間が動物に鈍感なように、人間同士でも鈍感が言われています。「鈍感力」という言葉もあるそうですね。しかし、動物にとってはたまったものではありません。飼われている立場から飼い主の都合で飼われて、そしていつの間にか人の年を超えて死んでゆく。
とても素晴らしい語り口だったと思います。
ただ、私個人的には犬童一心監督の作品を評価できていないんです。
このお話もそうなんですが、彼の作品は商業作品であって、芸術作品ではないということなんですね。
犬童監督はそのことを十分心得ていて、テレビで描けないレベルのストーリーを映画で表現する、という姿勢を貫いていますが、画面から見る作品はテレビドラマの枠を相変わらず飛び出していませんね。だから、どうしても思い入れることができない。そして記憶にも残らない。
犬童一心監督もそろそろ、本当にご自身が作りたい作品を強引にでも作って、これが犬童だ、という作品を見せてほしいですね。
映画監督ではあるかもしれませんが、所詮テレビ業界を超えていないことと、やはりスクリーンに映し出される芸術性に関しては残念ながら才能を感じないんですね。
とても素敵な映画ではあるだけに、いつも残念に思っています。
(ちと厳しいか?・・・)
2009/05/17
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