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[コメント] ひろしま(1953/日)

原爆映画と呼ばれる映画は数あれど、ここまであの時の真実を克明に描き切った作品はない。それが1953年に製作されていたという事実。☆4.7点。
死ぬまでシネマ

1951年9月8日に日本政府は講和条約に調印、翌4月28日に発効した事で、日本は漸く連合国の占領を脱した。封殺されていた原爆の実情を訴えるべく、まず新藤兼人長田 新編の同名書より『原爆の子』を制作、翌年新藤と決裂した日教組が同じ本を基に、延べ8万を超える学童・市民の出演・協力を得てこの映画を完成させた。

またこの後2年の内に、折り鶴の少女=佐々木禎子(『つるにのって』('93/日)のモデル)や、「夕凪の街 桜の国」('07/日の原作)の主人公=皆実は亡くなる事になる。

この映画は『広島長崎における原子爆弾の影響』('46/日)と共にアラン=レネ監督の『ヒロシマ 〜我が愛』(原題:'59/仏)に引用されている。その『広島長崎における〜』(未だ登録されず)のreviewに私はこう書いた。「全日本人が観る必要があり、全世界人類が観る価値はある」この映画についても同様であるし、あの日の惨状をこの映画以上に描き切ったものはないと思う。

この映画での救護所に於ける大根の芽のエピソードは、『広島長崎における〜』にもある通り、米国の科学者に於いても放射能の危険性を誤解させ楽観視させる結果となった。しかしあの時の被爆者たちにとって、あの幾つかに過ぎない芽吹きが如何に輝かしい希望であったろうと思う。

このDVDを視聴した2011年2月、ニュージーランドのクライストチャーチが地震に襲われ、日本人留学生の多くも被災した。まず報じられたのは、倒壊したビルの中、身動きの取れない中で周囲の生徒を確認し、携帯メールで外に知らせた女性教員の話である。この映画を視た時、当然この教員と重なった。地震と原爆、被災と被爆。

またテレビのドキュメントでは、筋ジストロフィーに冒された女性が、徐々に筋力の衰える体を周囲や親さえもが理解せず、怠け者と迫害し虐待した苦悩を放映していた。これも被爆者が長く苦しむ事になる苦悩と同質のものだろう。病と被爆。

尚更に思う。人間はどうしてここまで人間にし得たのか。人間はどうしてここまで人間にし得るのか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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