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[コメント] 愛を読むひと(2008/米=独)

2つの謎。☆3.6点。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画には2つの謎がある。一つ目は、主人公のマイケルは何故裁判で嘗ての愛人(そして永遠の恋人)ハンナを救わなかったか、という謎。もう一つは、長年マイケルを待ち続けたハンナが何故出所直前になって自ら命を絶ったか、という謎である。

これらの謎には観客はそれぞれ自分なりに解答を出している事と思う。問いを発し、観客それぞれが解答を裡に抱えながら帰って行く映画と言うのは、それ自体大したものだとは思う。

ぼくとしては、マイケルが裁判でハンナを助けなかったのは、彼自身の言うような「彼女が文盲を深く恥じていたから」という気遣いによるものではなく、法学生としての我が身を守ろうとした保身が主だったと思う。しかし更に思うのは、マイケルの中にも同級生が訴える正義への共感があったのだと思う。マイケルの中にはナチスが行なった行為に対する嫌悪が渦巻き、それを正々堂々と訴えられる同級生に対して、元SSの愛人を持ったという後ろめたさ、恥の概念にさいなまれたのではないか。それがハンナ自身への攻撃として顕われてしまったのではないか。

ハンナは囚人を見殺しにした事を「已むを得なかった事」として自分の中で処理して来た。しかし裁判でそれは許されない罪である事を突きつけられ、それを受け入れる事にした。決して文盲である事を隠し通す事だけが全てではなかったと思う。そして、罪を受け入れて刑に服したものの、しかし矢張り自分自身では「仕方無かった」という想いを捨てきれなかった。そんな中、マイケルだけは自分を見捨てていない、という確信、いや微かな期待だけが彼女の生きるよすがとなって行った。… ところが、再会した彼は何と言ったか。彼はまず彼女に罪を悔いたか尋ねた。それはマイケルもまた他の人間と全く同じである事を示していた。ハンナはそこに絶望し、自ら命を絶ったのだと思う。

     ◆     ◆     ◆

これらの事によって考えさせられたのは、ナチスがドイツ国民(青年)に残した傷の深さである。政治的な背景はよいのだ、それらは飽くまで舞台背景であって、2人の関係が重要なのだ、と解釈する観客もいるだろう。しかしぼくはそうは思わない。ただの戦争ではなくナチスドイツの戦争であった事が、この2人の間に、ドイツ国民の心に深い楔を打ち込んだのだ。マイケルはナチスの戦争犯罪の大きさ故に、ハンナをどうしても受け入れる事が出来なかった。それがドイツが再生する為に払った血の代償であり、ぼくらの日本が戦後今日までついに払う事の無かった「痛み」なのだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)24[*] じゃくりーぬ IN4MATION[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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