[コメント] 赤い風車(1952/英=米)
「作品」というのは、おおむね美しさを描き出すことが一般的に美徳とされているものだ。しかし、ロートレックの絵は、表面的な美しさに頼ることなく、いや、むしろ単なる美しさには頼らない表現によって、多くの人の心を強く引き付け、奥行きのある魅力を描き出すことに成功している。
それは、自他共に不遇と感じてしかるべき彼の障害を、根本的な所では、彼自身が否定してはいなかったからではないか、と思う。もちろんそう言った心境にいたるまでは、時間と段階はかかった事だろうが。
「醜いと感じられがちな中の本当の美」「劣っていると思われがちな中の優れた才」。そして醜いなら醜いなりに、ダメならダメなりに、けっしてその「存在」は、否定されるものではない、とロートレックは心底信じ、「絵画」と言う手段で、そのコトを繰り返し繰り返し世の中に伝えようとしたのではないだろうか?もちろん、同時に自己肯定を追求した部分もあるだろう。
その、ある種近代的な‘逆転の意識’が「単なるポスター」をして、芸術的に描かせしめ、「裏文化」と考えられていた店を客でいっぱいにし、「楽屋裏」の女達の姿を生き生きと描きとどめさせた。きっと生来紳士である振舞いによって、楽屋裏への出入りも彼女たちに受け入れられたのだろうなあ、と思う。
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どうしようもなく停止している「絵」と言うものを、スクリーンの上に映しているのにもかかわらず、その映像を魅力的に感じさせることに成功している希有な映画だと思う。「踊り」と言う動的なシーンとのコントラストだろうか。ロートレックの絵がすでに踊っているからだろうか。
ポスターの印刷のシーンの再現には、心ときめきました。
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