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[コメント] ラヂオの時間(1997/日)

映像的に全く動かない舞台と言う空間を、テキストで埋め尽くすのが舞台脚本の役割だから、映画映像と組み合わせるとどうしても要素が過剰になり、映像とテキストが、水と油のように混じり合えず、反発が生まれてしまっている印象が拭えない。そんな中で、
uyo

寡黙なSEアシスタントを演じていた梶原善の身振り一つ一つが、過剰なテキスト(台詞)を伴っていないがゆえに映像的で、爽やかな感じがした。

表面をいじられるのには耐えられても、本質の魂の部分をいじられることには死んでも耐えられない、と言うこだわりはおもしろかった。妥協を妥協だと感じることの出来る感性こそが、妥協するしないよりも大切だと思う。ほとんどは、自分が妥協をしていることにさえ、気がつけない事が問題だから。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)りかちゅ[*] けにろん[*]

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