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[コメント] A.I.(2001/米)

対ロボットでなくとも、対実子でも、親子の愛というのは、意外と難しいものなのだと思う。私にはデイビットが今の子どもたちと重なって見えた。
まゆ

私はこの映画のなかで、ロボットと人間の家族の愛・・・というよりも、「現在の親子関係」とか「無償の愛とはなんぞや?」ということを考えさせられた。

親によく思われたいばかりに、親の前ではいい子で、学校でははめを外す子。子供への愛情のかけ方が下手だったり一緒に過ごすのが苦手でテレビばかり見せている親。習い事はたくさんさせているけれど、親子の時間が十分に取れていない親。ゲームばかり買い与える親。自分の思うようにならないと、虐待してしまう親。もちろん、そんな親ばかりではないし、巷の親を見ていると「上手に育てているなぁ」と思う親もいっぱいいる。でも、親子関係がうまくいっていない家族も目立ってきているように思う。

そもそも実の親子であっても「無償の愛」というものは難しいこと・・・なのではないか。だけど、世間は血の繋がった親子の中にはそれが存在するはずだと考えてしまう。そもそもモニカだって、実の子を本当に無償の愛で愛していた?じゃあ、ディビットはモニカを無償の愛で愛していた?

ただ、デイビットはロボットでモニカへの愛をインプットされていた。デイビットは永遠の愛だったかもしれないけれど、無償の愛ではなかったと思う。途中から、モニカを癒すためのデイビットの愛が、デイビット自身が母の愛を求めるようになってきているように感じ、デイビットが人間らしく感じられるようになった。モニカの愛を求める姿。嫌われたくなくて我慢する姿。だけど、それが全く違和感がなかった。親の前でいい子ぶるイマドキの子供たちと重なって見えた。あぁ、そうか、今の子どもたち、苦しんでるんだ。。。寂しいんだ。。。デイビットと同じ気持ちでいるんだ。。。

モニカがデイビットの母親として悩む姿と同じように、自分の子に対してモニカがデイビットに抱いたような感情をもち悩む親が案外多いのではないかと思う。その親の子の中のいくらかはデイビットのような孤独を味わい、愛情を求めているだろう。

(評価:★5)

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