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[コメント] 十二人の怒れる男(1957/米)

密室で12人の陪審員を通し、「理性」「偏見」「人間性」「道義」「教養」を鮮やかに描ききった秀作。審議の行方そのものよりも討論の過程における浮き彫りになる個々の人間性が非常に興味深い。誰もが自分を見つめ直す作品なのでは?。
TOBBY

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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とかく学校教育や社会の場でディベートの機会が少なく、語れない人種だと指摘されがちな日本人。それでも多かれ少なかれ人生の中で何度かは討論を経験はして来ているだろう。そんな時を振り返らずには居られない作品である。自分は果たして、討論時にフォンダのように偏見を持たずに冷静な意見を言えていただろうか?べグリーのように独善的で感情の赴くままに振舞っていたのでは無いか?などと。まぁ先に述べた二人の登場人物は象徴として極端な二人であり、多くの人はその他の10人の中に埋もれているのが現実だと思う。けれどゾッとさせられたのは、やはりフォンダが冒頭で異を唱えなければ、誰も異論を挟まずに少年が有罪の方向で話が進展してしまいそうであったこと。これは裁判に限らず多くの討論の場でも起きうる。今後、日本も陪審員制度を導入するかもしれないとの意見があるけれど、その際には是非思い出して欲しい作品。作品中印象に残った台詞は「陪審員制度は我が国(アメリカ)の美点である」という言葉。本当に誇れる制度だと思う。個人的には様々な登場人物たちのキャラクターにおける育った環境や教養の有無、頭の柔軟さや、正義性などに人間としての大切なものは何か?というのを垣間見た。自分も時として感情に流されやすい質ではあるのだが理知的でありたいとつくづく痛感。

ところで、ギリギリまで主張を変えず、その理不尽な有罪理由に哀れみの目ですら見られてしまう男を演じたベクリー。彼の息子が『偶然の旅行者』や『シー・デビル』に出演のエド・べグリーJr。全然タイプの違う役者なのでサプライズ。

もうひとつ余談。暑さが意見の優勢劣勢の心理的圧迫を生むのも勿論だけれど、机の形と席順も重要。隣り合わせや向い合せでの無意識下の影響は非常に大きい。だから国際会議などでは丸形の机を使う(誰からでも距離が一緒!)。本作では細長い長方形の机だったので、かなり心理的影響が出ていそう。

しかし白いスーツの男(フォンダ)ってのは信頼しずらいなぁと思った。コスチュームさん、正義=ホワイトで現したかったのか?

(評価:★4)

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