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[コメント] 蝶の舌(1999/スペイン)

この手の映画にありがちな「その一方、兄の○○は同じ頃…」といったような描写がなく、常にモンチョがその場面に「立ち会って」いる(けれども彼が語り部なわけではない)のが新鮮だった。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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そして、常に主人公はその場に立ち会っているに過ぎない、ということを考えると、それぞれのシーンがあっという間に終わってしまうというのも頷ける。子どもの記憶容量や興味の持続などたかが知れているからだ。

同じ年代の頃の自分をふりかえってみても、自分の感情や身の回りで起こっていることなどをわかりやすく整理し表現する必要性など(これは『ミツバチのささやき』を見ても思うことだが)感じたことはなかったしできなかった。

できることは「単に見ること」「単に聞くこと」「単に感じること」だけで、しかも、それは常に断片的なモノでしかなかった。ものごとを時空間に沿って的確に観察したり判断したりする力などは、(今もだけど)私にはなかった。幼い頃のあざやかな記憶は、完全なものが断片になったのではなく、そもそも最初から断片だったのだ、と言ってしまっても構わないような気さえする。

「理解し把握すること」ましてや「思考すること」という行為を覚えるのはもっと先だ。あたりまえのように混沌を受け入れ、その場その場の空気になじんだりなじめなかったりを「なんとなく」繰り返しているだけだ。理由などいらない。こっちは感じることだけでせいいっぱいなのだから。

それでも時には疑問を感じ、質問もする。けれどその答えを正確に理解できたのか、真意を汲み取れたのかというと、それはまた別の話。大事なのは、何かを返してもらったというその事実。何かを教えようとしてくれたというその行為。…だからこそ、モンチョは先生が大好きだったと思う。ふたりでリンゴをかじったことがあるという楽しい記憶は、(話の内容などはほとんど忘れてしまったとしても)きっと心に残ると思う。そしてある日、ふと先生の言葉の断片を思い出し、何かを考える日が来るかもしれない。

あまりに勝手な解釈と言われればそれまでだが、私はそのような感覚で見ていたので、モンチョの視線で情報を得て、モンチョなりの理解をしていくように撮られかつ組み立ててあった(と私には思われた)この物語には、とても自然な流れを感じた。そろそろ限界!飽きてきた!と思う頃には次の興味がやって来て、うれしくてしょうがなかった。もちろん、最後のシーンにも何の違和感も覚えなかった。

私もきっと、彼に石を投げつけるだろう。そして、「アカ!」という言葉をぶつけるのと同じ感覚で「蝶の舌!」と叫ぶだろう。そこに深い意図はなく、けれど、そういう気持ちに駆り立てる感覚がある、ということだけはきっちり肌で自覚して。先生が好きだという感覚も決して失わず、あたりまえのように石つぶてと両立させて。

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*とは言え私は思いっきりバカで理解力や思考力にひどく欠けたコドモだったので(一応、少しは成長したと思うので過去形にさせてもらいます)、モンチョが「オレ、コドモっていってもそれなりに理解力あるし、最後の行動や台詞にもちゃんと意味があるんだよね。勝手に自分と同じレベルに落とすのはやめてくれる?」と言ってきたら真摯にあやまりたいと思います…。

(評価:★4)

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