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[コメント] めまい(1958/米)

サスペンスのふりしたメロドラマ。メロドラマのふりした、極めて上質なサスペンス。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ジュディが実はダサい田舎娘なのだということが顕わになればなるほど、ひたすら愛おしく思えてくる。

スコティが愛しているのは自分ではなく、マデリーン。優雅で洗練された大人の女、マデリーン。マデリーンという幻影を通してしか、彼は私のことを見てさえもくれない。本当は私がマデリーンなのに。本当は私がマデリーンなのに。

親の再婚で家に居辛くなって、たった一人カンザスの田舎町からシスコにやって来たジュディ。スコティとの再会時に「あなたの前にも一度だけ、食事だけということで他人に誘われたことがあったわ。」という台詞があったが、それこそがきっとジュディとエルスターとの出会いだったのだと思う。

最初は亡き妻や妹に顔が似ているとかなんとか言われ、エルスターに声をかけられたのだろう。寂しかったジュディにしてみればそれでもとても嬉しくて、けれども愛なのかと思って彼の言を受け入れ続けてみれば、実際はそんなものではなく。

彼女がどのようにしてエルスターから<マデリーンに仕立て上げられたのか>を考えると、もうそれだけで切なくなる。ジュディは始めから<妻を殺すために>と明かされていたわけではなかったのだろう。マイフェアレディのように、プリティウーマンのように、彼女は徐々に嬉々として、最初は自発的に変身していったのだろう。が、いつしか真実を知るようになり、どうにも身動きがとれなくなったときには、殺人の片棒を担がされるはめになってしまっていたのだろう。

そんな絶望的な状況のうちなればこそ、本物の恋を知ったジュディ。けれどそれは禁断の恋。しかも、相手は<本当の私>を愛しているのではない。彼が愛しているのは虚像としての私なのだ。

スコティと再会し、<本当の私>として彼とつきあってみることでそれは確信とさえなる。彼が愛しているのは、あくまでも<本当の私>からはかなり遠い<虚像の私>なのだ。でも、もうそれでもよい。だったら私は再び虚像となろう。せめて見た目だけでも、彼が愛してくれるような女になろう。<虚像の私>だって、私の一部ではあるのだから。

なんて悲壮な、けれど後のないつらい決意なのだろう。彼女にはもう、そうするより他にはなかったというのか。

そんなジュディの複雑な気持ちを思うと、その途方もないこれまでの孤独を思うと、あの(二人にとっては未来のない)ラストには胸をつかれ泣いてしまう。真実がわかったときにスコティがジュディをゆすりながら言う台詞「どんなふうにエルスターからトレーニングされたんだ!」には嫉妬のような思いも含まれていたのかもしれない、などと考えてしまうとなおさらだ。

スコティが初めて<本当の私>に対して感情をぶつけたというのに、と。スコティが、初めてマデリーンではなくジュディに対して独占欲を覚えたのに、と。

サスペンスは日常のどこにでもある。アナタが思うワタシは、ワタシが思うアナタは、常に<当人にとってのホンモノ>と一致しているとは限らない。

ヒッチよ、素晴らしいサスペンスの醍醐味を、メロドラマの高揚を、今日もどうもありがとう。

(評価:★5)

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