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[コメント] 虎の尾を踏む男達(1945/日)

勧進帳:「寺院を建てたり直したりするために必要なお金や材料を提供してください。」と、僧や山伏が人々から寄付を募るときに読みあげるもの。主に巻物の形態をとるらしい。<時代を考慮すると、巻物であるのは当然なのかも。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「富樫、わざわざ読みあげさせたならその場で少しは寄付してやれよ。」と今までは思っていた。が、今回この黒澤版「勧進帳」を見てようやくわかったような気がする。

富樫は単に騙されたのではなく、全部わかったうえで、そのうえで弁慶の<ド本気ぶり>にヤられ彼らを通過させたのだ。

だからこそ追いかけて寄付を申し出るのではなく、お詫びとかこつけての酒宴となるのではないだろうか。義経を守るためにこそ彼を強く打たねばならない弁慶のその心情を察し、その気迫や情に恐れ入り、強い感銘を受けたのではないだろうか。

そして、弁慶が富樫の使者による杯を素直に受け入れたのも、その時点で富樫の気持ちを全て理解し有り難く思ったからではないかと思う。あれは、単に酒が好き、というだけではないだろう。弁慶がかなりの知恵者であることを思えば、(山伏を演じている身で、かつ、まだ危険な旅の途中であるのにも関わらず)本能のおもむくまま次々と杯を飲み干すとは思えない。

あれはきっと弁慶から富樫への、友情の、そして別れの杯で、舞だったのだと思いたい。

なぜならその後、富樫はお役目を果たせなかったということで罰せられるだろうから。弁慶だって、そのことはよーくわかっているはずだから。

関を通過した後、弁慶がひれ伏して義経に打ったことを謝罪し、義経が弁慶の手をそっととる場面がある。その瞬間の忠義という関係性における濃厚なエロティシズム同様、弁慶と富樫のあいだにも、きっと濃い、互いに相手を敬いあう独特な愛情が生まれていたのだ、と私は思う。

(評価:★4)

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