[コメント] イントゥ・ザ・ワイルド(2007/米)
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若者にとって、「故郷」とは不快な雑音に溢れているものだ。親、学校、教師、隣人、自分を縛り付けようとするものそのすべて―マッカンドレス(エミール・ハーシュ)にとって、たとえば家族(父と母)は、自らの自由を制限する足かせとしての不自由の象徴そのものだったのだろう。
その反面、彼にとって自然=アラスカは、つまり「荒野」は、何物にも替えがたい自由の象徴だったに違いない。何の雑音もなく、静けさに溢れ、すべてが心地よく感じられる夢の聖地。自分ですべてを決め、自分ですべてのケリを付ける。そこには自分を縛り付けるものなど何もない・・・はずだった。
しかし、自然とは自由の象徴であると同時に、危険で、苛酷で、薄汚れた、孤独な場所であることを彼はアラスカの大地で思い知らされる(しかも文明を否定したマッカンドレスが生活の拠点としたのが、文明の産物である¨バス¨だったというのは皮肉だ)。そして、静寂に満ちた「荒野」は、荒れ狂う自然のただ中で、皮肉なことに最終的には彼を「荒野」ではなく「内面」に向かわせる。そこで彼は、故郷の、家族の、父や母の、雑音の「かけがえのなさ」を発見し、そして「荒野」でたった1人、孤独に死んでいく・・・。
結局のところ、監督であるショーン・ペンが伝えようとしたのは、「人には安住の地などなく、逃げる場所などどこにもない」という身も蓋もないメッセージ(まるでヘミングウェイの小説のよう)だったのだろう。そして「それでもなお荒野を目指せ!」と。なぜなら、「荒野」にたどり着き、孤独を知り、自分を知った者だけが、本当に大切な存在に気付くことができるのだから、と。そういう意味で『イントゥ・ザ・ワイルド』は、アラスカまでの道程を綴った「ロード・ムービー」でも、その終着であるアラスカの自然を映した「ネイチャー・ムービー」でもなく、とても純粋な「青春映画」なんじゃないだろうか。
まあ、ある意味では使い古された、陳腐で古典的なテーマ(自然VSオレ)とも思えるのだが、そのテーマに正面から向き合ったショーン・ペンの映画監督としての意地と執念、そしてエミール・ハーシュの神がかった演技(というよりも存在)のスゴさに本当にシビれまくった。しばらくは中途半端なハリウッド映画なんかとても観る気がしない。
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