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[コメント] 風の谷のナウシカ(1984/日)

「いかに描かれたか」「何が描かれたか」は非情に分かりやすいのに、「なぜ描かれたか」のが分かりにくい。これが私の捉える宮崎アニメの特質だ。しかし、この初期作品はその特質からとても遠いストレートな普通さに輝いている。
ジェリー

見た目の(表層の)派手さを保つ一方で深い晦渋さをまとうか、鏡のように視線を射返す仕掛けを施すかして(時によっては同時にそれらを行いながら)ことさらの深い解読をあえてはねつけつつ、「何を」の分かりやすさで最後まで押し切り、カタルシスのかなたに我々を引っ張っていこうとする戦術が、宮崎アニメに抱いている私のイメージである。「何を」と「なぜ」の分かりやすいイメージ連携を許してしまうと、クリエーティビティの敗北と捉えてしまう向きが監督の中にあるのかもしれない。

作品の寿命を長く保たせたい宮崎監督としては(おそらく宮崎監督は決して作品を「消え物」とは思っていない。これは、溝口や小津、成瀬などの世代とは全く異なる映画制作の感覚である)、時間の腐食に最もさらされやすいのが「なぜ」にある事を本質的に理解したうえで、「なぜ」の晦渋化、あるいは「なぜ」の成立しない地点でのテーマ設定に走っていく。後の作品になればなるほどそうである。

その中で「何を」と「なぜ」の連携が比較的シンプルで分かりやすいのが本作品である。2009年現在の社会の一員としてみると、この映画のメッセージはまっとうすぎるくらいまっとうであるが、ある意味80年代当時のこの映画の持っていたメッセージの高踏性は薄れている。というか現実へのアナロジーを容易に看取させる点、そこが作品の弱点と見てしまうのが宮崎監督の創作姿勢なのだ。

肩肘張らない、本作のような創作姿勢の宮崎アニメももう一度新作で見てみたい。 あの巨大な虫を創り上げたイマジネーションはやっぱり素晴らしい。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Orpheus uyo[*]

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