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[コメント] プリースト判事(1934/米)

米国南部人たちにここまで肩入れする必要などアイルランド人ジョン・フォードにはありはしない。しかし、辺境人ジョン・フォードとしては、米国南部人たちに仮託して自分が自分であることの喜びを謳歌する人たちの美しさを描きたかったのだろうと察する。
ジェリー

音楽がこの映画では重要となる。本作における音楽は劇映画における通常のアフレコ劇音楽としてではなく、登場人物の口ずさみや所作として我々の耳に到達する音楽として使用される。また、ミュージカル映画の中で登場人物が突如歌いだす形式の音楽とも違う。ミュージカル映画においては、登場人物の日頃の生活の身振りとして歌が歌われるわけではない。またオーケストラ音楽は被写体として映像空間の中に現れることはなく、音として登場するだけなので違うといわざるを得ない。しかし、この映画においては、歌から器楽演奏まですべてが、登場人物の生活の身振りとして示される。ここで重要なのが、歌を歌う生活者という19世紀的人物がこの映画の時代設定である1910年のケンタッキー州を舞台とした映画に登場しているということである。(実際いたのだろう)

次に重要なのは香りである。ウィル・ロジャースの言う「一人ではとてもかぎきれない」くらいのスイカズラの木やミントの葉の香りが映画の中で言及される。花の香りではなく、どちらかというと薬に近い葉っぱの香りであることに留意してほしい。

そして、我々の眼の前にあり、視覚を刺激して止まないのはキャンディを引き伸ばして競争しあうのんきな夜会や、戦後25年もたっているのにいまなお続く南部合衆国復員兵(ヴェテランと表記される)たちへの感謝祭。とりわけ最も重要なのが、映画の最後のシーケンスを占める秘仏開帳のハレの祭りとしての裁判である。

生活の身振りとしての歌謡、香木、祭式。なんとまあ、古式豊かな神話性をもったモティーフであろうか。これらのモティーフは間違いなく意識的な選択の結果だ。これら宗教的ファクターを駆使しながら、フォードの描きたかったのは現実世界では束の間に表れては消えてしまう神話的無時間の至福にほかならない。そして、そうした至福を経験している南部人たちへの憧れにほかならない。1910年という時代設定でありながら、この映画は南北戦争の傷跡を生々しく描く。というか、南北戦争敗戦によって傷付いた南部人たちの心のありようを描く。それは単純な憧れとしてではなく、回帰への行動を忘れない努力者である南部人への憧れとして描かれるのである。

それにしても、ジョン・フォードの映画作家としての素晴らしさは、「永遠にアクセスできないものへの憧れ」を描くときに最高潮に達する。ワイアット・アープのクレメンタイン・カーターへの(『荒野の決闘』)、ジーター・レスターの自前の農園への(『タバコ・ロード』)、オルセンの故郷への(『果てなき船路』)憧れの美しかったことを想起しよう。この種の憧れは自分が世界の中心にいると思う人には決して表れない特質で、辺境人という自己認識を持つ人特有のものである。(日本人がジョン・フォードを好くのはそれが原因だろうと思っている) 北部メイン州生まれのアイルランド人であるフォードは、米国南部というエリアとの関係で言えば、二重の意味で辺境人である。辺境人であればあるほど中心価値への希求は、中心にいる人以上に純粋なものになる。一方、辺境人であるがゆえの永久にアクセスできないことへのもがきや苦しみも強烈になる。

時間の変容を受け、時間の腐食にさらされたものをもういちど在りし日の状態にしたいという希求は、フォード映画の主題群の最も大きな山塊を形成する。フォード映画の登場人物の多くは、その価値復活のために取り憑かれたように行動する。過去大事にされ、現在において価値を失いつつある何かを求めて登場人物は動き回る(『栄光何するものぞ』『モホークの太鼓』『アパッチ砦』『三人の名付け親』)大事な価値は、過去の中にあると信じているかのようである。過去への憧れが強いぶん、過去から遠く隔たった現実への憤りは苛烈となる。(『コレヒドール戦記』『怒りの葡萄』『タバコ・ロード』そしてアメリカを冷静に分析したいくつかの第二次世界大戦ドキュメント映画群)。

極めて当然の帰結としてアメリカン・ドリームを描くことができるのは、ジョン・フォードだけなのである。1930年代のジョン・フォードの最大の好敵手だったフランク・キャプラにはアメリカン・ドリームは描けない。ジョン・フォードはプロセスのみを描くが、フランク・キャプラは結果のみを描く。その結果とは、現実認識の徹底性を欠いたまま、架空のアメリカを謳歌して見せるだけの貼り絵である。その貼り絵に大恐慌に疲れた1930年代のアメリカ人は熱狂したようである。しかしジョン・フォードとダリル・F・ザナックとの連携によりフォード映画は新たな領域を開拓する。そして1940年代以降、ジョン・フォードとフランク・キャプラとの命運が分かれていく。このあたりのハリウッド映画史は、全く正当というほかない。

最後にこの映画のもう一つの魅力を指摘しておく。私は黒人俳優達の魅力を指摘せずに筆を擱くことができない。ステピン・フェチットハティ・マクダニエル のようなタイプの黒人をいまやアメリカ映画はまったく描くことが出来なくなってしまった。米国国内では、『風と共に去りぬ』も『駅馬車』も公の上映が難しくなっている。黒人や先住民の描きかたが今日から見て政治的に正しくないのだそうだ。仕方がないことかもしれないが、それでも黒人たちの19世紀的生活風俗を色濃く残したこのような映画をむしろ観ておくべきだといいたい。

(評価:★3)

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