ジェリーさんのコメント: 点数順
ペイルライダー(1985/米) | どこまでも遠い風景を収めたいという制作力点の露わな冒頭シーンに驚かされたが、もっと驚いたことは役者たちの顔だった。クリント・イーストウッドの統括の元、映画草創期の西部劇役者らしい面つきの役者がここに揃っていることに我を忘れて喜んでしまう。 [review] | [投票(6)] | |
グラン・トリノ(2008/米) | 国家観、人種観などアメリカ人を支え続けてきた20世紀の価値観を古い衣として脱ぎ捨て、来る21世紀にどのような価値観を身にまとうべきか。アジア人のスタッフや俳優と考え続けてきたクリント・イーストウッドの思索の現状の成果がこれ。途方もなく美しい。 [review] | [投票(6)] | |
4ヶ月、3週と2日(2007/ルーマニア) | 友人の中絶に協力する女性の1日を手持ちキャメラで克明に追ったカンヌ映画祭パルムドール受賞作というだけで想起されるある種のステレオタイプは、ものの見事に破壊される。本作は、サスペンスの深い森に見る者を迷い込ませる超一級の娯楽作品だ。 [review] | [投票(6)] | |
いま、会いにゆきます(2004/日) | 映画が終わって、館内が明るくなる。10代から20代前半の女の子を中心にした観客の中に、中年男はどうやら私一人。しかし、彼女たちと同様に、すこぶる上質の感動に涙を流せたことをうれしく思う。少し面映さを感じつつ。 [review] | [投票(6)] | |
浮草(1959/日) | 小津安二郎が宮川一夫と組んだ唯一の作品。あらゆる作中人物が漂泊者のようなうら悲しさを帯びる。そして彼らを見つめるキャメラは実に慎ましい存在ぶりなのだが、本作の雨中のシーンだけは例外で、その例外部分は小津作品の中でも最大の奇跡。 | [投票(6)] | |
ストレイト・ストーリー(1999/米=仏=英) | 最後の旅だということを分かって旅する人間の目に映る風景はどんな色を帯びているのか。ゆったりした画面は確かに美しいが、キャメラは決して老人の内面を事あからさまに描こうとしない。その節度の潔さ・美しさ。 | [投票(6)] | |
或る夜の出来事(1934/米) | ラブ・コメの最高傑作。乗り込みのシーン・木賃宿のシーン・野宿のシーン・ヒッチハイクのシーンどこも大満足。 | [投票(6)] | |
髪結いの亭主(1990/仏) | 怖いほど切ない小宇宙。脱出できないのは当然だし、ああなるほかないという説得性がある。 | [投票(6)] | |
パラサイト 半地下の家族(2019/韓国) | 人物を型通りに造形したことでストーリーのエンジンとして使いやすくし、加速もコーナリングも思いのままに操った運転能力に賛嘆のほかない。舞台となる豪邸の造形もすごいが、この豪邸から寄生家族の自宅に戻る道への下降感覚が強烈で、消えゆく中間層へのレクイエムとしてのこの作品の性格が実に露わだ。 | [投票(5)] | |
007 スカイフォール(2012/英=米) | 活劇シーンがトルコ、上海、マカオ、日本、イギリス、スコットランドと007シリーズらしく国際色豊かに展開される。それらはさまざまな移動手段上で、高層ビルで、廃墟で、地下通路で、そして見はるかす広大な平地の中で異なる色合いを持たせられている。活劇の傑作だ。 [review] | [投票(5)] | |
丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日) | 被写体が動くことにより映画の価値が生まれるという生無垢の基本原理が全ショットであらわである。とにかく佐膳と子役と壷がよく動く。この動きを動きとして面白く見せるのに不動の被写体があえて取り込まれている。それが女達で、この静と動のずれが上等のユーモアを生む。 | [投票(5)] | |
怒りの葡萄(1940/米) | ジェーン・ダーウェルには舞台俳優のような深い思い入れのある演技の顔がある。ヘンリー・フォンダ には映画俳優らしいクローズアップに応えうる内省性を感じさせる演技の顔がある。そしてジョン・キャラダインの顔は演技を超えた実存そのものである。顔々の波動が交響し傑作となった。 | [投票(5)] | |
太陽がいっぱい(1960/仏=伊) | 「どうやって」は考えても「なぜ」も「何を」も考えなかった内省を知らない浅知恵の男の渇望と泥縄の日々を、あふれんばかりの輝かしい外光色で描いた傑作。 [review] | [投票(5)] | |
哀愁(1940/米) | 一つ一つのエピソードの自然さと組み立ての強靭さで、今なお映画のお手本。脚本の作りはまるで忠臣蔵の『勘平腹切』のような大胆さと細心さがある。瞬時に変わるヴィヴィアン・リーの表情をジョゼフ・ルッテンバーグは完璧に捉えている。「うまい」というより「強い」のである | [投票(5)] | |
大人の見る絵本 生れてはみたけれど(1932/日) | 描かれているのは子供だ、と初回見たときには思った。今回見たときは少し違った。 [review] | [投票(5)] | |
黒い十人の女(1961/日) | 画面左または右側三分の一に人物をいれてしまう構図の恐ろしいまでの切れ味鋭さ。カットつなぎの魔力はこれぞ市川流。山本富士子は孔雀のよう。船越英二には神が宿る。ラスト、岸恵子の運転する車が、燃える交通事故車をやり過ごすシーンは、デビッド・リンチを超える。 | [投票(5)] | |
となりのトトロ(1988/日) | 誰の家にもあったすっかり干からびたものたちの復権。超個人的なものであったはずのノスタルジーが普遍性を獲得してしまっている奇跡。 | [投票(5)] | |
ブリジット・ジョーンズの日記(2001/米) | 女体を語る。→ [review] | [投票(5)] | |
あにいもうと(1953/日) | 江戸期以降、義理と人情の板ばさみ関係が人情劇の基本なのだがここまで義理の関係が後退して人情の部分のみが前面に出てくる人情劇も珍しい。しかも一級品の演技に支えられて、成瀬巳喜男の隠れた名品といえる。 [review] | [投票(5)] | |
十二人の怒れる男(1957/米) | この映画を流れる時間が深く濃く感じられる最大のポイントは、蒸し暑さの描写にある。疲れ切った男たちの顔のしわ、脇の下の汗のしみ、額を拭うハンカチ。討論のもつ本質的な酷烈性と不完全性・欺瞞性を活写しながらも、一方でその討論を通じて誠実であろうとする人間への信頼を強烈に示した傑作 | [投票(5)] |