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ジェリーさんのコメント: 更新順

★3清作の妻(1965/日)純愛礼賛として見ても共同体批判として見ても、一人一人の登場人物から品性や知性や見識を抜き取って映画の傀儡にした上でのこと。そこを高く評価するつもりはないが、「こう見て欲しい」という監督の思惑を軽々と超えて近づき難い存在感を放つ若尾文子に脱帽。[投票]
★4浪華悲歌(1936/日)山田五十鈴にあらん限りの光をあてた作品で、当時の昭和モダンの風俗描写と相乗してとても斬新なオーラを放っている。男たちのだらしなさの表現で言えば、成瀬がすがれた感じを出すのが得意なのに対して、溝口は脂ぎった不潔感として表現される。見事。[投票(2)]
★5哀愁(1940/米)一つ一つのエピソードの自然さと組み立ての強靭さで、今なお映画のお手本。脚本の作りはまるで忠臣蔵の『勘平腹切』のような大胆さと細心さがある。瞬時に変わるヴィヴィアン・リーの表情をジョゼフ・ルッテンバーグは完璧に捉えている。「うまい」というより「強い」のである[投票(5)]
★3炎上(1958/日)無用者にこそ、人間理解という豊かな鉱脈への恐ろしい近道が備わっている。しかし、私を含めて見る者の目は無用者の観察に耐えられるか、という挑戦状をこの映画はたたきつけている気がする。理解という迂路の果ての絶望の向こうに市川雷蔵の透明なおびえ顔がある。[投票]
★4ブロードウェイのバークレー夫妻(1949/米)当時のファンが抱いていたであろうアステア・ロジャーズ伝説をベースの下味にした脚本はうまい。また、バックステージものとしてこれほどリアルな作りは無い。しかしストーリーとしてリアルで面白いと言ったまでで、ミュージカルとして率直にすごいと思ったのは [review][投票(2)]
★2ミッシング(2003/米)馬が生動しないというだけで西部劇には辛くなってしまう。単純化された白人とインディアンの対決の構図には妙な平等主義もなく、映画としてこれはこれでよい。しかし神経質なカット割が延々続く上に世界観が内向的な家族主義に退行しておりスケール感に欠けた。[投票(1)]
★5インド夜想曲(1989/仏)自分探しに終わってしまうのが海外渡航映画の常套だが、この作品はインドの深層に沈潜して自己発見に至る定式を外し、目的の正当性そのものの崩壊の自覚に行きついてしまう点が個性的。ラストの西欧人同士のダイアローグは実に知的で最上級に典雅な決着の付け方。[投票(2)]
★4ブラック・ダリア(2006/米=独)映画産業の偽者性や警察が常に悪の側に通底してしまう弱さやそこに群がる蟻のような人間たちが作る社会への視点を基調に持ちながら、個人の友愛や欲望の物語を語ってしまうところが、フリッツ・ラングの『復讐は俺に任せろ』へのレスペクトを感じさせもする。 [review][投票(4)]
★3名犬ラッシー 家路(1943/米)確かミツワ石鹸提供だったと思うが、毎週テレビシリーズを見ていた。懐かしい。そして今でも涙が出る。少年の両親や、老夫婦、鍋の行商人全て芸達者でクラシカルないい演技をしている。犬の表情もとにかくよい。犬にどうやってびっこをひかせるのかまだ謎。[投票]
★3女房の殺し方教えます(1964/米)七年目の浮気』とテーマや語り口が似ていると思ったらどちらもジョージ・アクセルロッドの作品だった。ジャック・レモン 以下手練れの活躍で救われているが、冒頭部20分の悪乗りはいただけない。望遠レンズやズームアップが、興ざめするくらい下品。[投票]
★3ビッグ・コンボ(1954/米)冒頭の女性の追っかけシーンなどひどく脇の甘いところがあるかと思えば、リチャード・コンテヘレン・スタントンの癖の付け方に工夫を感じさせる面もあり、いかにもB級ノワールらしい魅力の放ち方。補聴器はよい小道具だ。霧の使い方が幼稚っぽい。[投票]
★3私のように美しい娘(1972/仏)「可愛い悪女」というとこの映画を思い出さないわけにはいかなくなるだろう。演技だか地だか分からないくらい、ベルナデット・ラフォンの造形がすごい。コケにされる腑抜け男たち一人一人の緻密なキャラの立たせ方も笑いを誘う。特にシャルル・デネール[投票(1)]
★3プラダを着た悪魔(2006/米)本やコーヒーのお届け、私的な時間に突如かかる電話など、繰り返しをやたらに使いながら描かれる主人公の社会的成長は、我々一般人の生活さながらの凡庸さ。一言で言えば、この作品はミランダ編集長の決め台詞そのままだ。すなわち“That's all."[投票(1)]
★4祇園の姉妹(1936/日)ぽんぽんと機関銃のように向こうっ気の強い言葉が飛び出す芸者おもちゃとおっとり型の姉の梅吉の対比が分かりやすく、歯切れのよい演出とともに快い映画の律動感を生む。悔しさ、執着心が抽象化・社会化せずに具体的で私的なものであり続けるのが溝口映画。[投票(2)]
★3キングダム・オブ・ヘブン(2005/米)執拗な戦闘シーンの描写が、こじれにこじれている現在の彼の地の状況を告発する良心を感じさせる。史劇で一国の英雄を描くことが困難な国際化時代にあっては、こうしたもって行き方も一つのやり方だ。映画的テンションの維持の度合いは優等生的だが及第点。[投票]
★5ウェディング・バンケット(1993/米=台湾)五人の主要人物それぞれに対してそれぞれの人物が寄せる9本の心の視線が見える。アジア人の感性による上品なユーモアとハリウッドスタイルの脚本・撮影術がこれ以上望みえない均衡で釣り合った傑作。あの父母に懐かしさを感じない観客はいまい。[投票]
★3チャーリーズ・エンジェル(2000/米)リアルに作ろうとするなら、FBIとか連邦何とか局とかありそうなものだ。民間人として活動するこの三人の姉ちゃんには単なる虚構以上の胡散臭さがあり、それはこの映画の絵作り全部に通貫する。TV原作をネタに遊戯感覚をあふれかえらせた手腕は確か。[投票]
★2ゴジラ2000・ミレニアム(1999/日)ドラマが無く、起伏が無く、感情も無い90分間の映像につき合うのは闇夜の炎に浮かぶゴジラの美しいシルエットがただただ見たかったから。形のよさだけはシリーズ屈指。脚本があるけど無視していいと思える点、アダルトビデオ化したゴジラといえる。[投票(2)]
★4愛に関する短いフィルム(1988/ポーランド)弱き者としての人間が、凄愴なまでの滑稽さと愛すべき痛ましさをもって描かれる。ありえない話をぬけぬけと描きぬきつつも、孤独の様相だけは恐ろしく正確に描写されている奇跡。「自分を見つめる自分」という離人症の感覚はこの後『ふたりのベロニカ』に力強く結実していく。[投票(1)]
★3審判(1963/独=仏=伊)堂々巡りの果てにようやく訪れる悪夢的状況との訣別は、より大きな痛覚の体験によってしか実現しないという皮肉で哀切な黙示録。逃げ出したいのに逃げ出せない、夢体験特有の心的イメージを長回しと独特な空間表現で印象深く視覚化した異色の作品。[投票]