★1 | 人のセックスを笑うな(2007/日) | 変なたとえだが、この映画、美人ですよ、確かに美人。しかし衆人の前にお出ましになる前の長々としたお化粧最中の美人なのだ。誰がそこまで付き合うだろうか。過剰な自己信頼と思想と信念があるが、謙遜と効率と経済がない。かつて小津は「映画は橋の下で客を引く夜鷹だ」と言った。思い出してほしい。 | [投票(6)] |
★5 | 花様年華(2000/仏=香港) | 抑えても抑えきれない、振幅大きくうねりくる欲望の疼きを、様式的かつ大胆に時間省略の施された画面の中で描いた傑作。視野を極度に抑制する壁、乱れぬ髪、緩まないネクタイに代表される禁欲性と、風に揺れる赤いカーテン、覗き見的な鏡像、時折降る夜雨に代表される官能性の対比の素晴らしさ。 | [投票(2)] |
★2 | 血と砂(1941/米) | 絶頂に立つ者の栄光とその転落をこれ以上想像できないくらいの紋切り型で描く。ラスト10分の手抜も糾弾されるべきだろう。しかしながら、この映画は見上げる者と見下ろす者の視線の交錯に特徴があり、その瞬間に底知れぬ深みを湛えることもまた事実。 | [投票(1)] |
★2 | 円卓の騎士(1953/米) | 英国王の威厳を凡そ表現し得ないメル・フェラーでこの映画の沈没は決まったようなもの。それに加えて剣戟演出が実にかったるい。このジャンルにおいても50年代ハリウッドは、エロール・フリンによる天馬空を飛翔するがごとき名演に輝いた1940年前後とは比べものにならないのだ。 | [投票] |
★3 | 霧の波止場(1938/仏) | 「事情」ある男や女の「事情」の説明はほとんどない。映画が「説明」ではないことを証明するには最適の、明瞭な骨格を持った教本的映画。解釈の規則(コード)は一つだが多様な解釈をとりうる映画もあれば、解釈の規則(コード)が多様な結果として解釈が多様になる映画も存在する。この器の大きさが映画の魅力なのだ。 | [投票] |
★4 | 地獄への道(1939/米) | 驀進する列車の上を駆ける強盗のシルエットのこの上ない緊張感。天井を一つ隔てたその下の車室の心地よい平和な明るさ。これが一つのショットに収まっていることのすごさ! モニュメント・バレー西部劇とは対極的な森と湖の西部劇。時代を超えて今なお美しく、メッセージ性も今に通用する新鮮さに満ちる。 | [投票(1)] |
★2 | たみおのしあわせ(2007/日) | シーンごとの仕上がり具合にムラがある。それは演技巧者に演技させすぎるからだ。映画は演技を撮るものではなく動きを撮るものだ。各役者の動きに統制を貫けないからシーンごとのムラが出てしまう。脚本には、玄人受け狙いの良い味が出ているだけに実に残念。 | [投票] |
★4 | 吸血鬼ノスフェラトゥ(1922/独) | 今なお吸血鬼映画の決定版。写真構図の不安定さ、影の活用、ゴシック的ではない町並みの予想外の写実性、類縁的イメージとして登場する山犬、ペスト菌、ねずみ、食虫植物。吸血鬼イメージの植え付けのためにムルナウの施す仕掛けのつるべ打ちの確かさに目のくらむ思いがした。ところで、 [review] | [投票(2)] |
★3 | PROMISE 無極(2005/香港=中国=韓国=日) | 自由な視点の移動とフォトリアルな映像の道具とされてきたVFX映像の使用には、かつて禁じ手があったが、21世紀映画はどんどん禁じ手を解き始めた。この映画はその意味では時代の先端を行く。もちろん、出来栄えとは全く別の話だ。 [review] | [投票] |
★4 | 百万円と苦虫女(2008/日) | 疲労感の表現を魅力の中心にすえることの出来る稀有の女優が登場した。外れ具合の突出ぶりにおいて『浮雲』の高峰秀子のような特権性を蒼井優は帯びている。彼女に蝋燭やシャンデリアの美しい光源は要らない。曇天のぱっとしない外光や安アパートの蛍光灯こそふさわしい。 | [投票(2)] |
★2 | 振袖狂女(1952/日) | 腹芸演技を山根寿子、宮城野由美子、岡譲二が見せるために辛気臭い画面が続く。一方、主役の長谷川一夫が腹芸演技が不得意なため不統一感は拭いようがない。暗夜の竹林の撮影がとても上質。 宮城野由美子は本作初見。清楚で消え入るような美しさ。 | [投票] |
★3 | インファナル・アフェア(2002/香港) | まるで日本のテレビドラマから絵の撮り方を学んでしまった感のあるいびつさ。絵柄に奥行きがなく実に珍奇かつちんけだ。ハリウッドの一級ノワールにもおさおさ劣らぬこの暴力的なまでに知的な脚本が要求するのは、夜を基調としたコクと照りのある画面だったはずだ。 | [投票(1)] |
★3 | マーゴット・ウェディング(2007/米) | 露骨なエゴのぶつけ合いが延々と続く陰惨な景色の下地から、巧まざるユーモアが滾々と濾過されて湧き出てくる。愚かしさも賢さも表裏一体というか、愚かしいとか賢いとか区分したとしてもそれで人間を丸ごと評価することには少しもならないという強い哄笑の力を感じた。 | [投票] |
★1 | ヅラ刑事(2006/日) | ゆるい笑いを期待して見たのだが、ゆるすぎた。2時間TVドラマのはるか下を行く映画を見たければこれを推薦する。 | [投票] |
★3 | どろろ(2007/日) | 怪力乱神どものしょぼさが痛い。もっと痛切なのは、せっかく旬の俳優を集めておきながら見せ所を作れない演出陣の粘りの薄さ。しかし人の惨めな執着の相が等身大に白昼にさらされるクライマックスは盛り上がる。海外ロケを挙行して背景に撮り得た大平原の広さによるところ大。 | [投票] |
★3 | レッドクリフ PartI(2008/中国=香港=日=韓国=台湾) | 鳩の飛ぶシーンの長回しを見つつ、「これを《長回し》と呼んでいいのでしょうか溝口監督?」と問う自分がいる。 [review] | [投票(4)] |
★3 | 聖衣(1953/米) | 美術と衣装の立派さには恐れ入るほかない。誰もがよく知るキリスト磔刑の史実を取り込んで、ある男の「その1日」とその後を「今は昔の話」としてでなく現在進行形のドラマに仕上げた、骨太の企画力を感じさせる快作。ジーン・シモンズの清楚さに打たれる。 | [投票(2)] |
★3 | 陸軍中野学校(1966/日) | 愚かしいばかりの忠臣達を戯画として描きたいのか、悲哀と共感を持って描きたいのか知る手がかりすらなく、我々見る者はどこを切っても掘っても湿りを帯びた画面の表層を滑走するだけ。この映画に人間は登場していない。だからと言ってつまらないわけではないのだ。 | [投票(1)] |
★2 | つぐない(2007/英) | 起こったことに涙するのが劇映画鑑賞の基本であるのに、起こらなかったことに涙することを強いられて不快だった。時間の入り組ませ方にねらいや意味を見出せない。ロビー視点の部分とブライオニー視点の部分が混じるだけに時間順序の転倒は事実と架空の境界を濁してしまい逆効果。 | [投票(1)] |
★2 | ボーン・アルティメイタム(2007/米) | 三作まとめての謎解きをしなければいけない分、解説臭くなったのは我慢する。しかし、クライマックスのニューヨーク・ロケが中盤のモロッコ・ロケより劣るという工夫不足は許されない。悪役がドジ過ぎるのもいただけない。 | [投票(1)] |