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[コメント] シンドラーのリスト(1993/米)

「なぜ殺すの?」と問いかける相手に対して、「そうだな…」と考えるふりをしつつ出し抜けに引き金を引く。額を撃ち抜く。わずか数秒のカットで浮きぼりにされる暴力の本質。
crossage

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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誤解を恐れずに言うならば、無差別大量虐殺という暴力、その暴力性の本質は、殺される人間の「数」の多さにあるわけではないと思う。もちろん社会的なレベルで言えば、多くの人が意味もなく殺されることは大きな悲劇ではある。しかし個人の立場から見た場合、つまり「あなた」や「私」にとって真に恐ろしいのは、「誰でもない、ほかならぬ」この私が殺されなければならない、その理由が全く明らかにされないということ、その一点に尽きる。

ホロコーストの悲劇。誰がリストに載せられ誰がリストから除外されるのか、その選択は全く恣意的で、誰を殺すかを決める法則も、その者がなぜ殺されるかという明確な理由も、そこには存在しない。何もかもがチェスの駒のように記号的に処理され、そこに人間の「感情」やら「思惑」やら「実存」やらが入り込む余地はない。「なぜ殺すの?」という問いに答えが与えられることはなく、ただ一方的な殺戮のみがある。理由なき無機質な偶然性。それこそがホロコーストの暴力の本質である。そしてスピルバーグはわずか数秒のカットでその本質を表現してしまった。

蛇足とも批判されるラストのヒューマニズムへの迎合や、歴史を語ろうとする人間の立場性への無自覚など、非難されるべき点は多々あるだろう。でも、ユダヤ人としてホロコーストの暴力の本質を見据えていたであろう彼が、突出した才能を惜しみなく注いでまでそれを映像化しようとしたその情熱には、襟を正すべきものがあるのではないかとも思う。たとえそれが単なる才能の浪費なのだとしても。

(評価:★4)

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