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[コメント] ボーイズ・ドント・クライ(1999/米)

この異和感はなんなんだろうか。
セネダ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ブランドンの軽率さ、身体の軽さ、救いようのない身体的苦痛。それがわたしのこの映画の印象。たぶんこの作品を観て抱いた異和感は、この作品でのブランドンの描き方と性同一障害を理解できていないことの二つが大きいからだと思う。なんとなく性同一障害はセックス(生物学的な側面)として問題なんだろうというのは分かるけど、どうも世の中の仕組みとかジェンダーに縛られてるんじゃないの、と思ってしまうわけで・・・。

わたしは、同性愛者がアブノーマルで異性愛者がノーマルとは思わない。例えば「自分と同じ性」が恋愛対象、というのはその人の指向(嗜好?)だと思う。でも、わざわざ異性の格好をしている人をみると「はて?」と疑問を抱いてしまう。世の中の価値観とかジェンダーという枠組みを一番守っているのは彼ら彼女らの気がする。異性愛者に関して言えば「異性愛こそノーマル」と思っているかもしれないけど、なんというかこれって、この社会に生を受けた時からの方向付け(orienting)のタマモノなんじゃなかろうか。「女性は男性を好きになり、男性は女性を好きになる」という枠組みを身近でみながら成長する過程で、大半の人は、自分の恋愛対象は「異性」であると疑うことなく、恋愛をし、結婚をしているだけなんじゃないの、と思う(わたし自身も方向付けられた人間のひとりであり、異性愛者ではあるけど、これから先は同性を愛すこともあるかもしれない)。じゃあ、なにが一番腑に落ちるかというと、「ある人を愛している。そしてそれはたまたま同性or異性だった。」性別というカテゴリーより、一段上の、人としてその人が好きであれば、それって美しいよ、と疑問なく思う。

この映画の中では、結局のところ、ブランドン自身が世の中の価値観に一番縛られているように思えた。「自分の性は男だから、男の格好をする、女性を愛す」。世の中の価値観に合わせたはずの彼(彼女)のやり方は、堅固なる常識によって迫害され、排除される。ブランドンの身に起きたこと(死の原因となった事件も含め)は許されるべきではないが、わたしは、悲劇の主人公であるブランドンよりも、彼を受け容れたラナに共感を抱いてしまった。彼女はブランドンの性を知った後でも受け容れた。そこが良かった。美しいと思った。しかし、彼女も、ブランドンが男の格好じゃなきゃ、きっと見向きもしなかっただろうな。異性の格好をするというのにすごく異和感を抱くのだけど、この世の中では、「きっかけ」として必要なことなのかもね。それがうまくいくという保証はまったくないけど。

↑あー、でも、やっぱり、分からないな。上でつらつら書いたことは、理想論 or 机上の空論に過ぎないのかもしれない。「なにたわごと言ってんだよ」かもしれない。ちなみに生物の本能とか進化心理学とか「環境ホルモンの影響で脳が男性化・女性化する」という脳生理学な話は全く考慮してないです。例えば、相手が異性じゃないと、受精し妊娠し子孫を残せないわけなんだから。余談ながら、子供は愛の結晶だとか言うけど、やっぱそれって変じゃないか?同性愛の人で「愛する人の子供が欲しい」というのをたまに聞くと、生物としての本能と言えるのだろうけど、わたしには、それさえもこの社会の枠組みに囚われているとしか思えない。

クロエ・セヴィニーの存在感、すごいな。彼女が某賞(もしくは助演の方)とっていてもおかしくはない、と思う。

(評価:★3)

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