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[コメント] アンブレイカブル(2000/米)

監督と文化背景を共有できなかった人は、監督の話芸を楽しもう。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を真に楽しむには「正義のヒーロー(神)誕生」の瞬間、無意識に「では、悪(サタン)もどこかに?」というスイッチが観客の頭の中でおされるかおされないかが鍵なのではないだろうか? いろいろな見せ場があったにせよ、監督が最も力を入れていた見せ場がラストのトリックにあったことは間違いない。当然「あ!そうか、そういうことか!」といわせて「してやったり」のはずが、「それでどうしたの?」となってしまうのは、トリックがまるわかりだったのでも、それを明かすタイミングをまずったのでもなく、最初から「謎」が観客の頭の中に成立していないからでしょう。つまり悪の正体なんて別に気になっていない、ということ。「善と悪」という二項対立の図式というか世界観を基礎として強く持っていれば、超人的ヒーローの誕生を見届けたと同時に「では悪の正体は?」という「謎」が急速に脳内で頭をもたげ、その関心事があまり意識の上で大きく膨らまないうちにラストになだれ込み、2人が対峙するころには「あっ!なるほどね」と思わず膝を打ち、「おお、そういえばあの台詞…このシーン」と伏線となっていたシーンが矢継ぎ早に思い起こされる。さらに「因果応報」などという世界観をもって見てみれば、この作品で描く悪の生誕の逆説的解釈にもじわじわ満足感がこみあげてくる(…生まれつき体に障害があるのは前世で悪い行いをしたからだ、というのの逆)。そういう仕掛けなのではないだろうか? これでアメコミに詳しけりゃもういうことない。これが後から解説されるのではなく、あのラストで一瞬にして起これば大成功…だったんじゃないかな?

本当は監督はあんな説明的なラストは入れたくなかったのかも知れない。しかし、「ラストがなくたって途中であんだけヒント出してるんだからわかりますって」と思う監督に、仏教思想をバックボーンにもって西洋的な教育も受けたまるでインド系アメリカ人のことだけを相手にすることは(しかもアメコミオタク)、いくらなんでもターゲットを絞り込みすぎだとハリウッドは判断したのだろう。 

(評価:★3)

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