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[コメント] グリーンブック(2018/米)

結局は人それぞれという話。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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エンドクレジットで現実の本人たちの写真をみて何となく実感したのは、この2人の知性的なことだった。この2人はそれぞれの業界でその後成功するわけだから実際そうだったのだろうけど、元々物事を正しく見ることができる人、識見の高い人たちだったんだなあと思った。ウェルメイドな喜劇を目指したから、こういう物わかりのいい出来過ぎたキャラクター造型になってしまったというよりも、モデルになった本人たちがそもそもそういう資質の人だった、という感じだったのだろう。

この映画は「人は差別を乗り越えてわかりあえる」というようなことを「普遍的なこと」と言ってるのではなく、この2人であればこそ成しえたというふうに描いてはいるが、この2人の資質がもともと備わった才能であるかのようにしか描けていない気がする。それは結局本人がそうだったという「事実」だったからそうなってしまったのかなあと思う。要するに結局は出来過ぎた人たちの話、という印象がぬぐえないのが残念。

本人の資質の問題なのだとして、その資質はもとから楽に「備わっているもの」ではなく、たとえばドクが葛藤の末南部演奏旅行を決意したように、「困難の末に獲得していったもの」として描いていく方が、日本人的には納得のいく物語になるのではないか。それには、トニー側のエピソードに「葛藤の末」が少なすぎる。2人のバランスが悪い。

そうなってなくてもいいのは、これが「クリスマスの奇蹟」というオチだからなのではないか、と思った。クリスマスの奇蹟を与えられる者は「自らの信仰に基づいて聖なる地点を求める者」であればいい。「求める」だけでいいのだ。それなら2人のバランスは同等に見られるだろう。もっと極端に言ってしまえば、本作には聖なる地点が具体的に人物として存在する。聖なる人物とはトニーの奥さんだ。奥さんを喜ばす行為を行うものにこそ幸がある。そういうことで決定的なオチがつく文化で本作が出来ている。そんなふうに思う。

余談だが、同時期に公開された同じドライブがテーマの『運び屋』。あの主人公の、信仰とは無縁の生き様が逆に鮮やかに感じられるのは、自分のキリスト教文化との関係の薄さからくる共感なのかも、などとも思った。

(評価:★4)

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