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[コメント] 響-HIBIKI-(2018/日)

原作を読んだことがないけど、原作のほうが面白いと思う。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







というのは、文芸が題材になっているのに、文芸についてまったくといっていいほど何も触れていないからだ。響の小説「お伽の庭」はとにかく素晴らしい小説らしい、ということは、登場人物たちが口々に「凄い凄い」と言っていることや、芥川賞・直木賞にWノミネートするのだから素晴らしいのだ、と思わされているに過ぎない。それは「中身は不明だが各国が争って手に入れようとしている極秘情報」と同じマクガフィンで、よくある映画の仕掛けじゃないか、ということはわかるのだが、だとすると題材は小説でなくても、クリエィティブな人であれば、ミュージシャンでも、役者でも、ダンサーでも、世の中の良識や常識をひっくり返すようなエキセントリックな存在だったら何でも良くないか、ってことになってしまわないか? 

正直それじゃつまらない、と思った。彼女の才能がどう凄いかはともかく、とにかく大人や世の中に対し信念を曲げない自立心の象徴が、大人や社会をその言動や行動でぶち壊していくんです、それがまだ高校生になったばかりの少女なんですよ、どうぞ、彼女のその射貫くような眼差しに震え上がり、彼女の魅力の虜になってください、みたいな構成だけなら、別に珍しくもない。平手をあまり知らない人なら、彼女の存在感だけでも満足できるかも知れないが、本業での彼女を知っているファンなら、これくらいはやって当然というところだと思う。

右の棚には面白い本、左の棚にはつまらない本、そう判じる響の文学観や人間観に触れて欲しかった。その妥協しない強烈な自己とそこから繰り出される「なあなあな世間」への鉄槌は、どういう人間観から繰り出されるのか、そこを知りたい、そこを描いて欲しかった。原作は良く知らないけど、おそらく文芸について語られているところがあると思う。なぜならコミックというジャンルは、エキセントリックな主人公が常識に支配された周囲を変えていく、という骨子だけでは成立しない、そこにかなりその分野の専門的な情報が付加されているのが標準レベルだからだ。

で、そこまで描いたうえで、本作の重要なテーマでもある「作品とその作家の人間性は別物」というところに到達して欲しかった。作家や出版社の編集者を引き込ませるだけの力のある物語を、人生経験の浅い少女が書いてしまう不思議、そしてその主人公自らが放つ「作者の分際で、他人が面白いと思った作品にケチつけてんじゃないわよ」という台詞。これがとどめにくるわけだから、やっぱりこれについて言及してこそ「響」という作品の意義だと思うのだ。もちろん最初に書いたけど「お伽の庭」を提示することはできない。そのかわり北村有起哉や柳楽優弥が演じた作家たちや、とりわけ、その才能を見出した北川景子演じる編集者や、作家を商品としてしか見てないのかも知れないが、だからこそそういった意味での目利きである高嶋政伸演じる編集長の文学観や人間観をもう少し描きこむことはできなかったろうか、それがあれば側面的に響という人間に陰影を与えることができたような気もするのだ。原作コミックは映画と違い「面白いと言われる作品」、響が「あたし好き」という作品の、その内容は描かれなくても、その作者たちの癖のある文学観や人間観がもっと語られていると思うのだ。ただ 変わり者というだけでなく、どう変わりものなのか、やはりそこを見たい。癖のある百花繚乱がさまざま描かれれば、響のような突発的な暴力行為もより引き立つはずだ。

なぜ「作品とその作家の人間性は別物」というテーマが大事なのか、それは響の「信念を曲げない」が故のエキセントリックなキャラクターと、彼女の作品の素晴らしさ、彼女の小説を描く才能は基本的には別物だ、ということに関わってくるからだ。つまり彼女の小説が文芸作品の頂点に立ったからと言って、彼女の「信念」に権威が与えられるわけではない。映画はそこを自覚的なのか無自覚なのか混ぜて表現してしまっている。2時間の映画でそこまで描けないことは承知だが、そここそが人間「響」の真の魅力であることが何となくわかり、そこに踏みこんでいけなかった本作への残念さがある。

人間「響」の真の魅力? そんなものをそもそもこの映画は語ろうとしていたのか? ということに関していうと、それはちゃんとあったと思う。それは響が時折見せる「ふつうの高校生」としての姿の描写だ。文芸部の友達と夏休みの海での様子や、動物園で見せるいたってあどけない子どものような表情を描いているからだ(余談だが「てち」は歌やダンスで見せるクールな印象が強いが、バラエティやラジオ番組ではいたずらっ子のような所作をしたり、ファンから「キャロい」と評されるくらいキャピっとした可愛さがあり、そのアンビバレントさが魅力だ、というのは定説となっている)。描いている以上は、響のそういう人間性が確かにあって、そこが彼女の魅力だと半ば白状していることになる。創作物の構造が「主人公の成長への共感」であるなら、本作でもっとも大事なシチュエーションは、文芸部部長との和解のシーンだと思う。大人の常識を軽々とぶち壊す「人間や世の中を描く達人」が、一人の高校生としての友達との仲直りを通して、一歩人間として大人になったことは間違いがなく、彼女が絶対的な正しい価値観の存在などではなく、未熟な人間でもある(担当編集者を初め未熟さゆえに現に本気の迷惑をかけている)というところこそ最接近の共感ポイントだったはずだ。本作で響と文芸部部長の凛夏との関係性はとても面白く、また自然で、アヤカ・ウィルソンはとても良かったと思う。

くどくど描いたけど、要は本作って「これからってとこで終わっちゃうじゃん!」なのだ。まあ、それは「続編」の予感に期待ができるのだけど。が、となるとファンとしては「欅坂」の今後の活動のほうが正直かなり心配なのだ。

(評価:★4)

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