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[コメント] 勝手にふるえてろ(2017/日)

松岡茉優に騙されるな!
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







…私。笑

恋愛という「他者の受け入れ」と自意識の問題。こじれ女子が殻を破りかけては、また何度も勢いよく落ちてくる自我のシャッター。この反復が面白いのと、つどつどの松岡茉優の芝居(表情や台詞の言い方)がいろいろなアイデアに満ちていてとにかく最後まで観ていて面白かった。他者という異物の受け入れに対する生理的な感情というのが、男と女ではやっぱり違うのかな、とか、他人と自分のあるべき関係について、違う違う!という主人公に対し、それは男も女もなくあるべき正解なんてないよ〜とか、ついつい答えたくなる作品からの問いかけも、いわゆる「良問」で、物語のテキスト自身も優れているなあ、と思ったら、ちゃんと文学作品の原作だったのね。なるほど。

私はMCの松岡茉優を見たくて「うつけもん」というお笑い番組を毎週みていたくらい彼女がタイプ(特に顔面の)なので、この映画の最終的な感想が「最後まで面白かった」になったのは嘘じゃないのだけど、もし主役が彼女じゃなかったらこの主人公マジうざい、死ね、というような感想になったかも知れない。それくらい鬱陶しいこと(人)をテーマにしている。松岡茉優が嫌いという女の友人がいるが、彼女がこの作品を観たらどういう感想になっちゃうのだろうか、あるいは原作を読んだらどう感じただろうか、とふと思ってしまった。してみると、他人と自分の関係性という問題に割り込む相手の「顔面」や「仕草」というような「好み」ってなんなのだろう? と考えざるを得ない。

もちろん監督や松岡茉優が、この作品を作るにあたり「主人公は観客から共感を得られる人物」であることを心掛けて制作していることは確かであり、それはそういうふうに思わせる技術の賜物であることも確かだが、でも生理的な意味で松岡茉優が嫌いだとしたら、それは技術を上回ってしまう問題のように思う。それほど自分への侵入を「許す、許さない」という境界問題に対し「タイプ」というのはあまりにも強い影響力があるように思う。そう思うとなんだか自分は松岡茉優をキャスティングし演出した監督や松岡茉優に騙されているような気もしてくるし、本作の主人公における「一」や「二」が、それぞれ顔面や仕草がタイプであることは「名前を憶えてくれてなかった」や「無神経」なことでも「ま、いっか」となってしまい作品テーマの根幹を揺るがす問題なような気もするのだった。

(評価:★5)

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