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[コメント] アナと雪の女王(2013/米)

才能とはその人にかけられた呪いなのだともいえる。10年前抑圧されていて解放されたがっていた彼女たちの「ありのまま」とは彼女たちのアビリティのことだったのかも。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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踊りがうまかった、人を笑わせるのが得意だった、走るのが速かった、ひとより美人に生まれた…。ある時、自分の才能を自覚する。それがある意味で自分の人生を狂わせる。私は、俺は、将来アイドルやスポーツ選手になるべきだ、とか、なぜだかそういう思いに強くとらわれ続け、平凡で常識的な人生を失ってしまうことがあるからだ。才能とはその人にとりついた呪いなのかも知れない。

エルザの能力はおどろおどろしく描かれていないけど、完全に呪いとして描かれている。この物語が何かおかしいのは、物語のクライマックス、観客の共感がもっとも最高潮に達するところが「エルザの呪いの力の肯定・解放」にあって、それが物語の結論である、エルザやアナがこの事件とどう向きあい、どう成長したのか、にはおかれていないからだ。エルザとアナは力を合わせ見事に能力を制御し、姉妹のわだかまりを経てお互いの愛を確認しあうということに共感するのでなく、ヒロインの悪落ちの場面にこそ最大の共感が寄せられているからだ。

今から10年くらい前、劇場でこれに特に共感した人たちって、20代後半〜30代の女性が多かった記憶があるが、彼女たちの世代って、バブル期の親や社会の薫陶を受けて「女の自立」を真に受けて、自分らしくイキイキ生きようと思っていた矢先、それを受け入れてくれるはずの社会が崩壊した世代といえるかも知れない。浮かれてわがまま放題に生きることが「自分らしくイキイキ」だったバブル世代と違い、結婚や恋愛という社会制度に従う前に、まず自分の好きなことや能力を活かすことで社会の貢献につなげることを行動規範にし、見事に裏切られた。社会は再び女性を切り捨てる道で延命を図りだした。おとなしく周りの意見に従って、自分なんか殺したまま「やっぱり女は結婚が一番の幸せよ」という同性を見て、自分のアビリティなんぞにこだわったことを後悔したかも。だとしたら「たとえそれが呪われた力であり、社会から歓迎されなくても、それが自分自身の才能なのだ」という、ヒロインの「悪落ち」こそが共感を生んだのかも知れないなぁと思った。

この後の世代は、もう男も女もバブル崩壊後の社会しか知らないし、何も社会に期待することなく、新しく生まれたyoutubeやブログやSNSで好きなことを好きなようにするうちに、勝手に自己実現してしまう人たちが増えていく。昔は「ミュージシャンになろう」としたけど、いまは「ミュージックする」ことで十分になってしまった。「Let it be」ではなく「Let it go」へ。ありのままの自分の肯定のされ方も時代とともにいろいろ変わるものなのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ペンクロフ[*] さず

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