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[コメント] 2012(2009/米)

作品があまりに楽観的すぎだとか、評論家はわかっちゃいないのさ。(ジャクソン・カーティス)
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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前半のカリフォルニア崩落の場面など、どっちに向かって逃げていけば地面が割れていないのかわからないのに、車の進行方向は神がかり的な確率で安全地帯を通り過ぎる。これちょっとでも考える時間のある監督なら「有り得ねえ」と失笑されることを避けるために、あえて車の通過後の道も崩落しない箇所を残すようVFXスタッフに指示を出すだろう。そういうことをしないところが潔い。

隕石衝突にしても地殻変動にしても、危機が察知できるのはほとんど直前にならないと無理というのが現代の科学では定説だそうだ。つまり徹底的に運がよい場合のみ助かるのだ、という、これがフィクションとしてはリアルでなくとも、現実的にはリアルな姿なのかも知れない。

主要登場人物の選択・配置(彼らが物語の語り手として選ばれている作劇場の理由)も緻密に練られたようなところが感じられない。大統領、地質学者、一般ファミリー代表とかの枠組みから、もう少しキャラクターに厚みをつけてとかふつうならするだろうが、それもほとんどしていないように思う。そうかと思えば、主人公を運転手として雇っているボスの子飼いのボクサーの試合とかに紙幅を割いたり、地質学者の父親の演奏パートナーの息子がもらった日本人の嫁&孫娘が出てきたり、主人公の元妻の夫がボスの愛人と医師と患者の関係だったり、さまざまな階層の登場人物がいるグランドホテル形式だとはいうが、あまりにも場当たり的な人選、杜撰な相関図という印象だ。D.Cに残った大統領は、何百何千の被災者の中を歩き、たまたま見かけた老婆に限って人捜しを引き受ける。なぜ彼女のためにだけ? とつい思ってしまう。

しかしこれとて現実にこういうことが起きたら、必然とかしかるべくとかっていうことはないんだなと思う。もう、たまたま目の前の人を助ける、目の前の人の安全を喜ぶ、すべての行動は場当たりでしかありえないんだなと思わせてくれる。そう考えるとチャチャっと適当に決まったような「選ばれし者」の配置も、「準備ができない感」の醸成に一役買っているのかも。3号箱舟のシークエンスでの、とにかく自分が助けられる人を助けていくという「命のリレー」の場面なんかも、もし自分が助かれないとしたら、せめて自分の力で誰かに助かっていって欲しい、その人が助かることで自分の生の痕跡をとどめたいというような願いを自分も抱くように思えて共感できた。

ゲートをオープンにして、もともと乗せることになっていた人々を乗せたっていうだけでヒロイズムに浸っていたりして、そもそもカリフォルニアに置き去りにしてきた連中はいいのかよ、考えてみればチベットの空港にやってこられたっていうだけでかなり特権階級だよな、バカバカしくて観ていられないとか思われるかも知れないが、これとてそんなバカバカしさでしか生き残れないほどの確率でしかないんだ、という監督の確固たる主張なのかもしれない。

スピルバーグは職人気質だから、こんな穴だらけの作品は(穴だらけだけにw)作らないだろう(実際、地割れで寸断されるスーパーマーケットの見せ方なんか、彼ならたとえば陳列棚の商品の揺れる画とかの構築が小憎らしいくらい上手いだろう)。でも逆にこういうバカ力が必要な作品がもう作れないともいえる、考え過ぎちゃって。

随分評価しているようでいて3点なのは、んー、つまり破滅まではあっという間だったが、映画は長かったよ…というところで。

そういうわけではエミリッヒ監督にはこういうジャンルの存続のために、これからも一肌脱いでいって欲しいと思います。そういうわけで、また次の終末にお会いしましょう! ってことで。

(評価:★3)

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