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[コメント] イングロリアス・バスターズ(2009/米=独)

狭い空間の中で素粒子が激しく衝突しあうような、そんな監督ならではのアクションに興奮。監督は、やっぱり映画的運動の優れた観察者だったのだろう。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







挿話のほとんどが人と人が対面したところから始まろうとする。それまでは自由な運動をしていたもの同士が接近しだすとお互いの引力で引っ張られるように、物語の<核心>に向かってぐいぐい引き寄せられていく、みたいな。

冒頭のフランス人の農家宅でのSS大佐の尋問、伏兵の位置を聞き出すバスターズ隊長とドイツ将校、生クリーム添えシュトゥルーデルを食べるランダ大佐とショシャナ、酒場の名前あてゲーム、拾った靴にピタっとおさめられる女優の足…。いずれの対面の場面も印象的だ。印象的になるのは時に冗長でもあるが、やはりその内容自体にひきつけられてしまう会話の面白さが大きいように改めて思った。ユダヤ人農家の一家の家族構成だとか、思い返されるキングコングの身の上だとか、ついついその内容に聞きいってしまう。

で、本作の真骨頂はそこからだ。そんないくつか用意された対面の場面のうち、その空間が箱型に閉じられる時、決まって粒子の原子核がはじけ飛ぶような場面が待っている。ジワジワと圧がかかってきて、しまいに「バーン!」みたいな。

農家の床下にうちこまれる銃弾、酒場のテーブルの下の乱射(ポーランドの映画でこういうのあったような)、いきなり女優の首を絞めにかかる大佐。蓋が閉まるとアクションが一気に炸裂する。だからショシャナに会いにきた狙撃兵の若者が扉をしめて、映写室が箱型に閉ざされたことが確認されるとどきどきしてくるのだ。劇場の扉にカンヌキがおろされるとわくわくしてしまうのだ。これが本作の仕掛け。

登場人物はベクトルだけ。理念も動機も説明だけ。本来はヒロインの復讐譚であるはずなのに彼女の情動すらほとんど感じない。煙をスクリーンにして哄笑する彼女の像に「ユダヤの恨み晴らしたり!」なんていう爽快さや逆に悪趣味さも私にはまったく感じません。感情的なものは何にも感じない。ひたすら魅力的な絵を見ているだけ。そう、監督の作品の中では、これまでにないくらい感情の排されたドラマで成り立っているのが本作だと思う。登場人物の心理や情感に共鳴してどきどきしたりハラハラしたりというのはさせないで、ひたすら同じ運動パターンによるアクションで興奮を演出していると思う。そういう映画的な興奮を感じさせる場面を繰り返すことで、その純粋運動の法則を見せたがっているような気がしないでもない。だとしたら、それこそこの監督の真の「お遊び」なのだと思う。

でもって、監督が今日ふつうに共感できるような生活感情ともっともかけ離れたものとして「歴史」という題材なのだろう、と思う。登場人物たちは絵巻物か叙事史の出来事中の人物であって、感情を排するためにうまく機能しているように思う。ある意味、監督にとってもっともフィクショナルっていうのが歴史的事実ってことで・・・(で、リアルなのがB級映画で…とまでは言わないけど)これはもう良くも悪くも作家的な性質ってことだろう。

正直たるみを感じることがあって、本当は4点って感じだったんだけど、アイデアとしては凡庸な劇場爆破シーンの美しさに参りました。燃えあがるスクリーンの美しいこと。 それを表現するのには絵で見せる以外に方法がないでしょ。それが見られた。これぞ映画、「やったー!」って感じです。

「うち(劇場)には可燃性フィルムのコレクションがあるのよ」って、こりゃ映画(フィルム)に愛着がある人には書けない台詞だな・・・なんて思ったり。監督のシネマパラダイスは劇場の跡地に建てられるレンタルビデオ店てことなんですかね?

(評価:★5)

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