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[コメント] 蜘蛛巣城(1957/日)

英雄の最後
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







マクベスには予想以上に忠実なんだけど、で映像表現の追求として 原作でそれに当たる台詞をカットしている。その分画面上の「動き」 の活かしかたが素晴らしい。

この時期の黒澤はをあくまで、画面上の動きと音で「物語」を構成する。 たとえば、預言をうけた後の三船と千秋のシーン。画面を斜めに動くのは 画面に奥行きを持たせる常套表現なんだけど、彼らの心の葛藤の表現で もある。にしても、この迷路。象徴的意味が感じられる。。

主人殺害シーンの山田五十鈴の歩くときの裾のすれる音。これも実に効果 的だ。台詞表現ではなくあくまで映像と音で、登場人物達の心の動きを 表現する。矢の飛ぶ音もしかり。中間部分で、殺された主君の息子と 部下が蜘蛛巣城の下で矢をあびる。この矢の動きと音は、最後のシーンを 先取りしているわけだ。

最後の三船が矢をあびるシーン。頸に矢をうけた三船が階段をおりて、 刀を抜いて、息が絶える。あの一連の行動が表現しているものは、原作の マクベスの最後の台詞とどこか共通しているかもしれない。

「さあ、これが最後の運試しだ。」と最後にマクベスはいう。女の腹から 生まれたものにはマクベスは殺されないはずだった。が、月足らずで 帝王切開をうけたマグダフには、マクベスは適わないと悟る。にも かかわらずマクベスは上のようにいうのだ。

もはや死ぬ他はない、究極の状況、運命。だが人間は、その状況にあって こそ生に直面するのかもしれない。 ここで三船の演技は、たしかに原作の台詞とは趣が違うが、台詞を補って 余りあるリアリティをもっている。

この映像の力がこの作品の力である。それゆえに、原作とは別の作品と なり得ているわけである。(台詞の聴きとりづらさを、あまりあげつらう のはちょっと。黒澤はテレビでなく劇場を想定しているわけだから・・・)

ただ黒澤作品、あまり得手ではない。あまりの弁証法的ダイナミズムに ついていけないところが僕にはあります。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)緑雨[*] 煽尼采[*] ina

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